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西国街道(旧山陽道) その18
厚狭〜下関(後編)






国道2号線を越え、調布の
街に入ってきました。













街に入ってすぐ、
右手には大乗寺。











すぐ隣は徳応寺。















この辺りは社寺が並びます。
こちらは法華寺。















この街は市の条例かなにかで
店の意匠も制限がある
のでしょうね。

ヤクルトさんもこんな
店構えでした。









すぐに正円寺。

ここの境内には‥













大イチョウがありました。
五枝に分かれ、高さは13mもあるそうです。
県の天然記念物。











乃木神社への参道。

祭神は明治天皇の崩御により 殉死したあの乃木将軍。












山口銀行の横は忌宮神社。

「いみのみやじんじゃ」と
読みます。












商店街を抜けきった辺り、
この角を右に曲がります。













長府は昔の街並みが残る
きれいな街ですね。













やがて長府毛利邸。
凄いお屋敷です。

こんなお屋敷に住んでみたい
気もしますが、掃除と
固定資産税が大変そう。









毛利邸の先、右手には
功山寺。














その左隣は長府博物館。

階段の横にはトイレあり。














さらに進んでいきます。 博物館辺りまでは観光客が
かなりいましたが、
博物館の先に進むのは
私だけでした。(笑

県道246号線を歩いて
いきます。しばらく緩い
登りが続きます。







12〜3分ほど登ると、
峠のようです。

特に名前はないのかな?












下りになると道が広く
なりました。左手には
新興住宅地が広がって
いるようです。









新興住宅地を過ぎると、
道はまた狭くなりドンドン
下って行きます。












生コン工場の前を通り、
しばらく行った先の
ここの二股は右側へ。
郵便局の前を通ります。

んんっ??
遠くに見えるのは‥





関門海峡大橋!!

ようやくゴールが
見えてきました。











しばらく行くと海も
見えるようになります。













前田の街にはいりました。
街の雰囲気が海沿いの
街ですね。











家の屋根がこんなに近い。
急な斜面に街があるのが
よくわかります。











ここの二股は右へ。
















しばらくは民家の間の
狭い道を歩きます。












関門海峡大橋もハッキリ
見えるようになって
きました。












どんどん道は狭くなります。
完全に生活道路ですね。

尾道の街を思い出しました。











左のブロック塀と道の角度を
見ていただくと、急な坂
なのがわかると思います。

ここは左へ。










海峡ビューしものせきという
国民宿舎のそばから。














火の山ロープウェイの
駅前に出ました。












源平荘という宿の横から
海に向かって下ります。














国道9号線に出ます。
ここからはしばらく国道を
下関駅方面に歩きます。











みもすそ川公園には源義経と
平知盛の像。

傍らで紙芝居もやってました。











こちらが源義経。















こっちは平知盛。

当時の勢いの差もよく
表されています。











壇之浦古戦場跡。












向こうは九州なんですね。

ホントに遠くまで来ました。













関門海峡大橋を真下から撮ってみました。
こうしてみると迫力ありますね。















大橋をすぎ、右手には
立石稲荷神社。

この辺りの9号線は下関駅に
向かって右側に歩道がなく、
この稲荷神社に行くには
横断歩道を渡っていく
しかありません。






下関の街までもうすぐ。
自然と足が早まります。

壇の浦バス停の先から、
国道の右側にも歩道がある
ようになりますので、
早めに右側の歩道に移動。






国道沿いの歩道には

右 上方道
左 すみよし道

とかかれた道標。








やがて鎮守八幡宮。














その隣は赤間神宮。















本陣伊藤邸跡。
















亀山八幡宮の近くには床屋発祥之地の碑。

なんでも鎌倉時代の中期(1264〜73年)、亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士
「従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴」は、宝刀紛失の責任をとってその職を辞し、
三男「采女之亮政之」を連れて宝刀探索の為、当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。
采女之亮が新羅人の髪結職から技術を学び、我が国初の結髪所を開き往来の武士や金持ちを客として
生計を立てていたそうだ。その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間があり、
「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、
下関から全国へ「床屋」が広まった。









亀山八幡宮の鳥居。














亀山八幡宮の拝殿前。

ここにはどうしても
見落とせないものが
あるのですが、
なかなか見つかりません。

どうしよう‥






なんのことはない、鳥居のそばにありました。

山陽道の道標です。

ここは山陽道の起点 九州渡航の起地なり 山陽道第一番塚なり」

と案内板に書かれています。
ということは、ここがゴール。
なのかはハッキリしません。
というのも別のところが終点だ、という説もあり、
とりあえずそちらまで行ってみることにします。




唐戸市場付近。

バドガールと楽しむ
ビアガーデン、
と書かれたの垂れ幕が。
どう楽しむんでしょうかね?








商店街の中を抜けて
いきます。














さすが下関。

マンホールもフグ仕様です。












下関市役所の南側を
歩いていきます。














さすが本場だけあって、
フグ屋さんもちょこちょこ
見かけました。

食べたいなあ。









大正9年竣工の山口銀行
旧本店。

港町には洋館が似合います。











永福寺前に到着。
ここがもうひとつの終点。

着きました。
ようやく。
ホントに長かったし、
遠かったです。






なにか山陽道について
書かれたものはないかと、
永福寺に入ってみました。












本堂前。
とくに書かれたものは
なにもありませんでした。











本堂は高台にあるため、
関門海峡がよく見渡せます。

本堂前の階段に腰をおろし、
暫く感慨に浸っていました。

永福寺到着後、1つ行って
みたいところがあり、
そこに寄るためバスで移動。

その内容はここでは
パスします。




帰途につくため下関駅へ。
















在来線で新下関駅へ。

新幹線に乗り継ぐ場合、
下関からは小倉まで出て
乗換えるほうが、のぞみの
接続本数も多く便利だし、
早いのはわかってたのですが
急ぐ旅でもなし、料金の安い
新下関経由にしました。







こだまで新山口へ。

よく500系にあたります。












新山口駅からは
さくらで帰りました。











帰りはモチロン一人宴会。

厚狭駅から永福寺まで
約35kmを7時間10分、
47800歩でした。

とりあえず、無事に歩けた
ことに感謝して乾杯。








総延長606.7km。所要時間は121時間20分。時速はジャスト5km。足かけ8か月、延べ23日かかりました。
西宮から土山までは自宅から近いこともあり、出勤前に歩いたり、少しの時間を見つけて少しずつ歩きましたので、
通常の1日30〜40kmペースなら17〜8日といったところでしょうか。

伊勢本街道や熊野古道・中辺路ルートと比べると随分雰囲気が違いました。
伊勢や熊野は昔から参拝のための旅の道。一方山陽道は参勤交代や庶民の移動のための生活の道。
そのため、伊勢や熊野ではあまり感じられなかった人の気配がこちらではいろんな所で感じることができました。

振り返ると、いろいろありましたね‥
スタートの京都は35度を超える猛暑でしたが、松子山峠から八本松までは吹雪で凍えそうでした。
ハンターさんに銃口を向けられたこともありましたし、崖のようなところをロープでよじ登ったりもしました。
通行止ではないかとヒヤヒヤしながら峠に向かったり、相当荒れていて道かどうかもわからない、といった情報から
かなり気合を入れて臨んだ峠が、キッチリ整備されていて拍子抜けだったり‥。

個人的感想ですが、歩く道としては熊野や伊勢の方が面白かったと思いますが、
距離がかなり長い分、達成感という意味ではこちらかな。



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