国道2号線を越え、調布の 街に入ってきました。 |
街に入ってすぐ、 右手には大乗寺。 |
すぐ隣は徳応寺。 |
この辺りは社寺が並びます。 こちらは法華寺。 |
この街は市の条例かなにかで 店の意匠も制限がある のでしょうね。 ヤクルトさんもこんな 店構えでした。 |
すぐに正円寺。 ここの境内には‥ |
大イチョウがありました。 五枝に分かれ、高さは13mもあるそうです。 県の天然記念物。 |
乃木神社への参道。 祭神は明治天皇の崩御により 殉死したあの乃木将軍。 |
山口銀行の横は忌宮神社。 「いみのみやじんじゃ」と 読みます。 |
商店街を抜けきった辺り、 この角を右に曲がります。 |
長府は昔の街並みが残る きれいな街ですね。 |
やがて長府毛利邸。 凄いお屋敷です。 こんなお屋敷に住んでみたい 気もしますが、掃除と 固定資産税が大変そう。 |
毛利邸の先、右手には 功山寺。 |
その左隣は長府博物館。 階段の横にはトイレあり。 |
さらに進んでいきます。
博物館辺りまでは観光客が かなりいましたが、 博物館の先に進むのは 私だけでした。(笑 県道246号線を歩いて いきます。しばらく緩い 登りが続きます。 |
12〜3分ほど登ると、 峠のようです。 特に名前はないのかな? |
下りになると道が広く なりました。左手には 新興住宅地が広がって いるようです。 |
新興住宅地を過ぎると、 道はまた狭くなりドンドン 下って行きます。 |
生コン工場の前を通り、 しばらく行った先の ここの二股は右側へ。 郵便局の前を通ります。 んんっ?? 遠くに見えるのは‥ |
関門海峡大橋!! ようやくゴールが 見えてきました。 |
しばらく行くと海も 見えるようになります。 |
前田の街にはいりました。 街の雰囲気が海沿いの 街ですね。 |
家の屋根がこんなに近い。 急な斜面に街があるのが よくわかります。 |
ここの二股は右へ。 |
しばらくは民家の間の 狭い道を歩きます。 |
関門海峡大橋もハッキリ 見えるようになって きました。 |
どんどん道は狭くなります。 完全に生活道路ですね。 尾道の街を思い出しました。 |
左のブロック塀と道の角度を 見ていただくと、急な坂 なのがわかると思います。 ここは左へ。 |
海峡ビューしものせきという 国民宿舎のそばから。 |
火の山ロープウェイの 駅前に出ました。 |
源平荘という宿の横から 海に向かって下ります。 |
国道9号線に出ます。 ここからはしばらく国道を 下関駅方面に歩きます。 |
みもすそ川公園には源義経と 平知盛の像。 傍らで紙芝居もやってました。 |
こちらが源義経。 |
こっちは平知盛。 当時の勢いの差もよく 表されています。 |
壇之浦古戦場跡。 |
向こうは九州なんですね。 ホントに遠くまで来ました。 |
関門海峡大橋を真下から撮ってみました。 こうしてみると迫力ありますね。 |
大橋をすぎ、右手には 立石稲荷神社。 この辺りの9号線は下関駅に 向かって右側に歩道がなく、 この稲荷神社に行くには 横断歩道を渡っていく しかありません。 |
下関の街までもうすぐ。 自然と足が早まります。 壇の浦バス停の先から、 国道の右側にも歩道がある ようになりますので、 早めに右側の歩道に移動。 |
国道沿いの歩道には 右 上方道 左 すみよし道 とかかれた道標。 |
やがて鎮守八幡宮。 |
その隣は赤間神宮。 |
本陣伊藤邸跡。 |
亀山八幡宮の近くには床屋発祥之地の碑。 なんでも鎌倉時代の中期(1264〜73年)、亀山天皇に仕えていた京都御所の北面の武士 「従五位ノ下北小路蔵人頭・藤原基晴」は、宝刀紛失の責任をとってその職を辞し、 三男「采女之亮政之」を連れて宝刀探索の為、当時蒙古襲来で風雲急を告げていた長門国下関に下った。 采女之亮が新羅人の髪結職から技術を学び、我が国初の結髪所を開き往来の武士や金持ちを客として 生計を立てていたそうだ。その結髪所の奥には、亀山天皇と藤原家祖先を祀る立派な床の間があり、 「床の間のある店」と呼ばれ、転じて「床場」、さらに「床屋」という屋号で呼ばれるようになり、 下関から全国へ「床屋」が広まった。 |
亀山八幡宮の鳥居。 |
亀山八幡宮の拝殿前。 ここにはどうしても 見落とせないものが あるのですが、 なかなか見つかりません。 どうしよう‥ |
なんのことはない、鳥居のそばにありました。 山陽道の道標です。 ここは山陽道の起点 九州渡航の起地なり 山陽道第一番塚なり」 と案内板に書かれています。 ということは、ここがゴール。 なのかはハッキリしません。 というのも別のところが終点だ、という説もあり、 とりあえずそちらまで行ってみることにします。 |
唐戸市場付近。 バドガールと楽しむ ビアガーデン、 と書かれたの垂れ幕が。 どう楽しむんでしょうかね? |
商店街の中を抜けて いきます。 |
さすが下関。 マンホールもフグ仕様です。 |
下関市役所の南側を 歩いていきます。 |
さすが本場だけあって、 フグ屋さんもちょこちょこ 見かけました。 食べたいなあ。 |
大正9年竣工の山口銀行 旧本店。 港町には洋館が似合います。 |
永福寺前に到着。 ここがもうひとつの終点。 着きました。 ようやく。 ホントに長かったし、 遠かったです。 |
なにか山陽道について 書かれたものはないかと、 永福寺に入ってみました。 |
本堂前。 とくに書かれたものは なにもありませんでした。 |
本堂は高台にあるため、 関門海峡がよく見渡せます。 本堂前の階段に腰をおろし、 暫く感慨に浸っていました。 永福寺到着後、1つ行って みたいところがあり、 そこに寄るためバスで移動。 その内容はここでは パスします。 |
帰途につくため下関駅へ。 |
在来線で新下関駅へ。 新幹線に乗り継ぐ場合、 下関からは小倉まで出て 乗換えるほうが、のぞみの 接続本数も多く便利だし、 早いのはわかってたのですが 急ぐ旅でもなし、料金の安い 新下関経由にしました。 |
こだまで新山口へ。 よく500系にあたります。 |
新山口駅からは さくらで帰りました。 |
帰りはモチロン一人宴会。 厚狭駅から永福寺まで 約35kmを7時間10分、 47800歩でした。 とりあえず、無事に歩けた ことに感謝して乾杯。 |