いよいよ伊勢への旅も 最終回。 朝一の近鉄特急で松阪へ。 車内はご覧の通りでした。 |
松阪駅でJRに乗換え、 多気駅へ。 結局、名松線は使い ませんでしたが、 名松線のホームには 通票の授受を確認する 箱もありました。 |
朝9時ごろに多気駅に 到着。 |
駅から歩いて前回終了 地点の踏切まで。 ここからスタートです。 |
しばらくは舗装された 道を歩いて行きます。 所々案内板はあるのですが、 ご覧のように見にくい ものもあるので要注意。 |
伊勢参りの最終回に ふさわしい天気。 気持ちよく歩けそう。 |
竹林の中を伏拝坂を 越えていきます。 坂、といっても言われ なければ気が付かない 程度の坂。 |
伏拝坂の到着。 案内板によると、 むかし伊勢参りに旅人がここ まで来て、お伊勢さんまでの 距離を尋ねたところ、 「三里山道 五里畷」と聞き、 これから先の難儀を思い、 参宮するのをあきらめ、 東の空を伏し拝んで残念そう に帰ったという伝説の場所。 ここまで来て諦めるのは 断腸の思いだったので しょうね‥ |
正念僧・人柱供養碑塚。 二百数十年前、この街道を 正念という老僧が歩いて おり、書き写した経分を 全国66か所の霊場に 奉納しようとしていた。 ここまで来た時、病となり 死を悟った正念は街道を 往来する旅人の安全を祈り 人柱に立ったそうだ。 ここまでの無事を感謝し、 ここからの安全を祈願し 一礼。 |
曲がり角にあった常夜燈。 奥の鳥居は何神社の ものかわかりません。 |
田丸神社の前にあった常夜燈。 田丸神社のご祭神は菅原道真。 道真サンは個人的に興味があるので、 ここはじっくり参拝。 |
田丸神社の先の道標。 案内板によれば、 大和からのはせ(初瀬)街道、 熊野街道、熊野からの熊野 街道がこの地で合流し、 伊勢本街道として伊勢神宮 へと続いており、交通の 要衡といわれ、伊勢参宮と 西国三十三ヶ所の観音巡礼 のため、田丸の町は大変 賑わったそうだ。 |
田丸から県道をまっすぐ 東へ。 JR参宮線を越え、 しばらく行くと宮川の 手前に尾崎咢堂記念館が。 尾崎行雄の名の方が 有名ですかね。 憲政の神、とか 議会政治の父と 呼ばれる立派なお方。 |
宮川に架かる度会橋を 渡れば、そこは伊勢市。 昔はもちろん橋などなく、 渡し舟で渡ったそうです。 ここの渡しは「柳の渡し」 と呼ばれ、ここも伊勢参りの 難所のひとつ。 |
度会橋を渡ると外宮は もうすぐ。 いよいよです。 |
外宮の少し手前にある筋向橋。 その昔、関西からの参宮道と 中部・関東からの参宮道が ここでひとつになったところ。 今は橋の欄干だけが残って います。当時、 おたくはどこから? 京からどす。そちらさんは? 江戸からだよ! なんて会話がなされて いたのでしょうか。 |
外宮手前で月夜見宮へ寄り道。 月夜見宮は外宮の別宮で 外宮から300mほどの ところにあります。 こちらは参拝客は私だけ でした。 |
外宮に到着。 ようやく、本当にようやく 到着です。 多気駅からここまで 約3時間。 |
ここは多くの参拝客で 賑わっていました。 当たり前といえば 当たり前ですね。 |
御正殿前。 人にもまれながら参拝。 祭神は天照大神の食事を 司る神の豊受大神。 衣食住をはじめあらゆる 産業の守り神だそうです。 外宮内の境内社にも 一通り参拝し、内宮を 目指します。 |
外宮の前にはこんな マンホールが。 カラーでなかなかよく できています。 |
外宮からは伊勢市内の 住宅街を歩いて行きます。 ほどなく永代常夜燈が。 両宮の文字が見えますので、 内宮と外宮を結ぶ道で 間違いないと思われます。 |
小田橋。 今は立派な橋ですが、 昔は二重架橋だったそうで、 身分によって渡る場所が 決まっていた、とも 言われています。 |
伊勢自動車道の手前に ある古市参宮街道資料館。 昼休み中だったのか、 開いてませんでした。 残念。 この辺りは昔、遊郭が あり、随分と華やか だったそうです。 |
大きな二対の常夜燈の 前を通りすぎ‥ |
猿田彦神社へ。 ここまでくれば内宮までは 残り1kmほど。 |
内宮手前は大渋滞。 駐車場探しも大変かも しれません。 |
おはらい町に到着。 ここからは土産物屋や 食べ物屋さんを眺めながら 内宮の入り口へ。 |
ご存じの赤福本店。 赤福の創業は1707年で、 本店の建物は明治初期の ものだそうです。 こちらも凄い人でした。 個人的には興味がないので、 立ち寄りませんでした。 途中のどこかのお店で 昼食を、と考えたのですが、 どこのお店も大行列で 諦めました。 |
内宮到着。 外宮からは5kmほどで、ちょうど1時間でした。 内宮は、皇室のご祖神の天照大神を祀っています。 外宮より内宮の方が人が多く、芋の子を洗う状態。 聞くと、1月が一番参拝客が多い時期なのでとか。 私がここに到着したのも1月の休日。 仕方ありませんね。 朝一番とかであれば、もっと人は少ないと思う のですが、昼一番という時間もよくなかったかも。 |
五十鈴川に架かる宇治橋を 渡っていきます。 宇治橋は20年ごとに 架け替えられるそうで、 訪れた年の前年11月に 架け替えが完了。 この橋脚は前の橋の ものでしょうか。 |
参道は人が多いながらも ピンと空気が張っています。 一気に身が引き締まる思い。 |
五十鈴川の御手洗場で 手を清めて御正宮へ。 |
大阪の玉造をスタートし 足かけ6日、約180km 歩いて到着しました。 参拝すると全てが終わって しまいそうな感じがして、 しばらくの間、石段の下に 立ち感慨にふけってました。 これだけの参拝客なので、 拝殿では感慨にふける 暇もなさそうなので。 |
新しくなった宇治橋。 架け替えは20年に一度 とはいえ、大変でしょうね。 |
おはらい町に戻って きましたが、まだご覧の ような人、人、人。 2時前でかなりお腹も すいていたのですが、 諦めて五十鈴川駅へ 向かいます。 |
駐車場をおはらい町を 結ぶ地下道。 この辺りまでくると 人の数もマシになり、 昼食にありつけました。 生牡蠣と蒸し牡蠣で一杯。 |
地下道の中には当時の 様子を描いた屏風なども あり、雰囲気を高めて くれます。 この屏風にも物凄い人の 数が描かれていましたが、 この日も同じぐらいでした。 |
五十鈴川駅に行く途中で 内宮の別宮になる月読宮へ。 |
五十鈴川駅に着くと3時前。 まっすぐ帰ってもよかった のですが、まだ時間があった ので、鳥羽まで足を伸ばして みました。 |
夕方、鳥羽から伊勢市駅まで 戻り、一旦途中下車。 |
駅前で居酒屋を見つけ、 一人打ち上げの開始です。 この後、近鉄特急に揺られ 自宅へと戻りました。 |