飛瀧神社から急な階段をまた登り、なんとか青岸渡寺まで戻ってきました。 その時の時刻は11時頃。青岸渡寺の横のお店でちょっと早い昼食を取ることにしました。 相変わらず小雨がぱらつくような天気だったので、お店の方にこのあとの天気を聞いてきることに。 「このあと天気はどうでしょうね?」 「そうね、そんなにどしゃ降りにはならないと思うんだけど‥。 観光ですか?」 「熊野古道を歩いてます。今日はこれから大雲取越えを歩き、小口まで行く予定です。」 「今から小口まで歩くんですか? もうお昼前ですよ? 日が暮れるまでに着けるかしら‥」 「 \(◎o◎)/! た、たぶん大丈夫だと思います‥」 確かに和歌山県発行の地図に書いてある標準所要時間は7時間。 経験上早けりゃ書いてある時間の半分、遅くても2/3の時間しかかかってない。 「頑張って行ってみますね。」 「気をつけてね。お水はある? ウチの水でよかったらいっぱい汲んでいっていいよ。」 ありがたい言葉をいただき、水を汲ませてもらい出発。 |
ここから大雲取越が 始まります。 11時半ごろスタート。 周りには人がいっぱい いますが、ここを登って 行く人は私以外誰も いませんでした。 |
この登り坂にも 丁石がありました。 |
ひたすら登っていきます。 ずっと登りが続くことは わかっていたので、 あまりペースをあげず、 時々立ち止まりながら ゆっくり登っていきます。 |
500mおきにある道標。 こちらのタイプは今までの 木タイプではなく石造りです。 |
2番道標を過ぎると、 那智高原公園。 昔ここは大戸平と呼ばれ、 中辺路街道と色川街道が 交差するところ。 今はスライダーや遊具施設 がある立派な公園に。 誰もいませんでしたが‥ |
公園の奥、ここから 再び登りが始まります。 |
ご覧の通り、雰囲気はいい のですが、ずっと登り。 |
少しガスってきました。 足元の両側は笹なのですが、 しょっちゅうガサガサ‥と 音がなります。 その度何か出てくるのか? と身構えますが何も出ず。 あまりにも頻繁に音がする のでおかしいな?と思った のですが、音の正体は リュックの外に括り付けて いたコンビニの袋でした。 |
5番道標。 2.5km進んだことに。 ここまで来るのに 45分かかっています。 |
5番と6番道標の間にある 登立茶屋跡。 案内板によると、今の国道 42号線が整備されるまで この道は大阪、和歌山方面 への唯一の幹線道路として 広く利用されていたそう。 |
まだまだ登りが続きます。 500mほどの標高を一気に 登るので、大変なのは わかってましたが‥ ホントにキツイ。(苦笑 |
所々倒木がありました。 相変わらず小雨が降り 続いていますが、木々の 中を歩くので、あまり 濡れることなく 歩くことができたのは ラッキーでした。 |
船見茶屋跡に到着。 ここからの展望は眼下に 那智湾、右手に太地、 左手に新宮・佐野方面が 見えるという素晴らしい もののようですが、 ご覧のような天候で 全くみえませんでした。 残念。 |
船見茶屋から少し行くと ようやく、本当にようやく という感じで舟見峠に到着。 青岸渡寺から1時間半。 ここが中辺路で一番標高が 高いところだそう。 ここからはしばらく下り。 |
通称「亡者の出会い」と 言われる部分にきました。 この坂で物故した縁者や知人 が白装束姿で現れるのを目撃 するとの言い伝えがあり。 またダルやガキと呼ばれる 亡霊にとりつかれ、異常な 空腹感に襲われて死に至る との言い伝えも。 こんな言い伝えがある坂で かなりガスってきました。 わざわざ雰囲気満載に しなくてもいいのに。 |
色川辻といわれる林道との 交差点まで下りてきました。 特に亡霊に取りつかれる こともなく‥ こんなのに取りついても 仕方がないと向こうが 逃げ出したのかも しれませんが‥ |
少し林道を歩き、 再び古道へと 入っていきます。 |
林道から分かれるところに 「途中、倒木があるため、 注意して歩いてください」 と注意書きが。 古道に入ってすすんで みると‥ |
ありました。 なんとかくぐれるところを 見つけて前進。 何カ所か木が倒れている ところはありましたが、 なんとか通行可。 |
12番道標辺りから 登り坂になります。 沢沿いに登っていきますが、 所々水が道まであふれて いました。 |
一度林道と交差して下りに。 13番道標から登りになり、 林道と合流。ここから しばらく林道を歩いて いきます。 |
林道の左側には川が流れ、 その川の向こう側に道が 見えます。 あちらのほうが古道っぽく 見えますが、実際には平成に なってできた道だそう。 新しく作られたその道は 通行禁止で歩くことは できませんでした。 |
地蔵茶屋跡の休憩所に到着。 青岸渡寺から2時間半。 近くに流れる川で顔を洗い ここでちょっと休憩。 自販機がありましたが、 ペットボトルのものは 全て売り切れでした。 場所が場所だけになかなか 補充されないようです。 特に夏場はよく売れると 思うので、ここに来れば 水がある、とは思わない 方がいいかもしれません。 |
大雲取の地蔵堂。 中にはたくさんの地蔵が 祀られていました。 |
地蔵茶屋跡から再び古道 へと入っていきます。 ここからしばらく 登りが続きます。 |
地蔵茶屋跡から石倉峠、 越前峠を超えていきます。 また登り‥ 大雲取越を歩いたのは 三連休の最終日だった のですが、途中、人に 出会ったのは小口方面から 来られた女性3人組の グループだけでした。 やはり難所ということで、 敬遠する人が多いので しょうかねぇ。 |
この辺りも所々水が 道にあふれています。 |
石倉峠にあった小さな お地蔵さん。 その隣には歌碑も ありました。 |
石倉峠に到着。 地蔵茶屋跡からは 15分ぐらい。 ここから先は 下りになります。 |
18番道標。 石造りの道標から見慣れた 木製っぽい道標に変更。 管理する町が替わったから なのでしょうが、できれば 統一したほうが‥ 警察と消防の番号が書いて ありますが、携帯は殆ど 圏外で使い物になりません。 |
苔生した道を 下っていきます。 踏みつけて歩くのは なんか申し訳ない 気もしますが、 そうもいってられません。 |
ほんの少し林道と合流し、 この石段を登っていきます。 ここから小口までは 残り5kmほど。 |
ゴツゴツした大きな石で 歩きにくい。 足をとられないように 慎重にあるきます。 |
何度も立ち止まりながら かなりキツイ勾配の道を 登り切り、越前峠へ到着。 ここまでは地蔵茶屋跡から 約45分。 熊野川小学校の卒業遠足は ここに来るようですね。 学校の場所を調べてみると 小口から登るのかな? 大変だ‥ |
越前峠の先は下り。 小口まで標高800mほどを 一気に下っていきます。 |
苔むした石が多く、 足元がかなり不安定。 ゆっくり慎重に下りないと 大変なことに。 |
この坂に付いた名前が 胴切坂。 熊野本宮大社から来て、 つまり私とは逆方向から 来てこの坂を上ると、 腹切れそうなぐらい痛む、 ということだそう。 写真は胴切坂を振り返って 撮ったもの。 |
下りなのでまだなんとか なりましたが、ここを登る なんてことは、考えたくも ありません。 運動しすぎて疲れてくると、 「膝が笑う」といいますが、 この日の私の膝は最後には 大爆笑してました。 |
24番道標。 ここまでくれば長かった 胴切坂も終わり、緩やかな 下り坂になります。 |
苔生した地蔵さん。 いい雰囲気ですね |
楠の久保旅籠跡。 その昔、道沿いに十数件の 旅籠があったそうです。 ここより北の小雲取越にある 桜茶屋を指差し、あそこまで 宿屋がないのでここに泊まれ と客引きをしたそう。 昭和三十五年頃まで 人が住んでいたそうです。 |
25番道標の先に あった歌碑。 ここだけでなく石倉峠から 小口までの間に同様の 歌碑がいくつもありました。 モチロン、書かれている 歌はそれぞれ別のもの ですよ。 |
27番道標の先、再び急な 石畳の下り坂になります。 下りの苔生した石畳は やっかいですね。 でも急な坂道はこれが最後。 この下り坂が終わると 中根の旅籠跡。 先程の桜茶屋まで宿がない というのはウソですね。(笑 |
急な下りを 円座石に到着。 「わろうだいし」と 読むそうです。 三山の神々がここに座って 談笑した、との言い伝えも。 石には阿弥陀仏(本宮)、 薬師仏(速玉)、 観音仏(那智)の梵字が 刻まれいる、そうなのですが、 見つけることは できませんでした。 |
円座石からさらに下って いくと、林の隙間から 舗装された道が見えました。 到着まであと少しです。 |
お〜ようやく人の気配が。 |
ここが小口側の入り口。 |
日が落ちるまでに小口の 集落に戻ってくることが できました。 |