熊野古道 その10
那智〜熊野那智大社〜小口(前編)





使用マップ(和歌山県観光連盟)

那智駅〜熊野那智大社   熊野那智大社〜小口


この日は那智駅から
那智大社を経て小口まで。
大雲取越という難関が
待ち受けます。

終了時間が読めなかった
ので、終了地点に車を
置いておくことにしました。

朝の7時前に小口に到着。

気持ちのいい朝です。


小型バスで神丸のバス停へ
向かいます。

乗客は最初から最後まで
私だけでした。









神丸バス停。

5分程の乗り継ぎ待ち。
ここから新宮市へ。










新宮駅には8時前に到着。

この日は土曜日。
クラブ活動なのか、
元々授業があるのか
高校生が10人ほど
乗っていました。

裁判所前のバス停で降り、
神倉神社へ。




神倉神社。

権現山(神倉山)に鎮座する神倉神社は熊野速玉大社の摂社。案内板によりと、

市内西方にそびえる権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山として崇められてきました。主峰は
千穂ヶ峰(253m)で「鎮護ヶ峰」とも記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。古くから
熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には岩倉神社が
あり、「天磐盾」とみなされてきました。また、ここには神が鎮座する磐座があり、「コトビキ岩」と呼ばれて
います。古来から霊域として、また修行者の行場として栄えたことがわかります。

この橋を渡った正面に社殿がありますが、それは猿田彦神社と神倉三宝荒神社。

神倉神社には‥



こんな階段を登っていかねばなりません。
その数は538段だそうです。

人によると10分もあれば登れる、という人と
20分はかかるという人もおりさまざま。

どうするか悩みました。
那智への移動のバスの時間、
大雲取越という難関が待ち受ける今日の予定‥

結局登らず。

スミマセン。ヘタレで。



国道42号線から神倉神社を
見ることができます。

ホント、断崖絶壁の上。













アップにするとこんな感じ。

社殿より岩のほうが
大きいのでは?

いつの日か絶対登って
みたいですね。








バスで那智駅へ向かいます。

こちらのバスの乗客は
私を含めて4人。












前回終了地点の
振分石に到着。

朝の9時過ぎにスタート。











浜の宮王子の隣にある
補陀洛山寺の横の道を
通っていきます。

那智山まで8kmの
表示がありました。










まずは市野々王子を
目指します。














川関の庚申塔。

きれいに手入れされています。














那智山道。

この辺りはまだ舗装道を
歩いていきます。

那智山へ向かうのでしょう。
他府県ナンバーの車や
バスがガンガン追い越して
いきます。

歩いているのは私だけ。





この道標のところを
右斜めに入ります。

石標の一文字を隠して
あるのは何故でしょうか?












道標に従い、川の堤防を
歩いていきます。

こんなところを入って
大丈夫か?と思いましたが
大丈夫でした。(笑









緩やかな山道に入りました。
















しばらく歩くと
見事な竹林が。

個人的な好みですが、
普通の林より竹林の
方が好きです。

何故だかはわかりません‥







尼将軍供養塔。

尼将軍とは源頼朝の室、
北条政子の渾名だそう。

この供養塔はなんと1218年
に建立されたそうです。

この先は下りになります。
登ってきてここから下り。
つまりこの辺りが峠で、
荷坂峠というそうです。




ふだらく霊園に
下りてきました。

こうしてみると、
結構登ったんですね。

霊園から先は再び舗装道。








那智山へ向かいます。

この時はまだ薄日が
さしていたのですが‥












市野々王子に到着。

振分石からは45分。











市野々神社のすぐ北側に
あるお杉社。

境内には天照大神が
お姿を現されたという
影向石があります。











那智山に向かって
ドンドン歩いていきます。

よく考えると、目の前に
ある山をこの後越える‥

一瞬引き返そうかと。(笑






大門坂の入り口に到着。

車は右、人は左。

ここまでで1時間ほど。










いよいよ大門坂へ入ります。

鳥居のすぐ先には‥











振ヶ瀬橋。ここが聖地への架け橋

この橋の手前が俗界。
橋の向こうは聖域。

なので振ヶ瀬橋。











聖域に入ってすぐ、
茶屋がありました。

この時はまさかここに
戻ることになるとは
思ってもいませんでした。







茶屋の先にある夫婦杉。

大きな2本の杉の間を
歩いていきます。

ちょうど大量の観光客が
到着したところだったので
写真は杉の上の方だけ。








多富気王子。
中辺路では最後の王子。

ここに集めていたスタンプ
があるはず‥
なのですがありません。
人はいっぱいいますが、
みんな観光客なので
聞いてもわからないハズ。

探し回るも見当たらず、
先程の茶屋に戻って聞く
ことにしました。

茶屋の人に聞いてみると‥
「ここにあります」

大門坂にも町石がありました。

全部でななつ。













なだらかな石段を
登っていきます。

左手前の石が三町石。

この石段が六町まで
続きます。






四町石のすぐ先に
十一文関跡。

昔、ここで通行税を
とったそうです。

ここまで来て所持金が
十一文なかったら、
泣くに泣けませんね。







七町までくると土産物屋や飲食店が
立ち並んでいます。

ここでこの階段を登り那智大社へ向かうか、
先に滝へ降りるか悩みました。

ただ、順番からいってやはり那智大社が
先だろうと思い、この階段を上へ。








到着。

ようやく三社とも
参拝できました。













那智大社の隣にある
青岸渡寺。

有名な西国三十三所巡礼
の第一番の札所です。








青岸渡寺の三重塔と
那智大滝。

絵葉書なんかでよく
見かける構図。

あ、絵葉書には手前の
家は写ってないか。(笑







青岸渡寺の三重塔は、天正9年(1581年)に
豪族の対立により焼失してしまいました。
現在の三重塔は、昭和47年(1972年)、
400年ぶりに再建されたもの。

塔の高さは25mあるそうです。

200円払うと中に入れるみたいですが、
今回はパス。←パスが多いな。







青岸渡寺から三重塔を経て
ドンドン下っていくと
飛瀧神社の入り口へ。

ここからさらに石段を
下っていきます。

この辺りで雨が落ちて
きました。








那智の滝に到着。
その昔、神武天皇がこの滝を神と祀られ
大穴牟遅神の御神体と仰いだそうです。

滝の直下は133mにもなり、
水量は平時でも毎秒約1トンあるそう。










ここも多くの観光客で
賑わっていました。

ここへは車で直接来る
ことはできず、石段を
降りてくる必要が
あります。

ちなみに真上の写真の
飛瀧神社の入り口までは
バスで来ることができます。






瀧の前の石段はこんな感じ。

大門坂を登った六町から
まっすぐここに来れば
よかったかもしれません。

というのも‥









またこんな石段を登り、青岸渡寺まで
戻らなければなりません。

七町からここにくれば、七兆〜那智大社間の
登り下り分の体力を使わないですんだハズ。

そういやスタンプの押印帳の順番も
那智の滝が那智大社より先にありました。

後悔しても始まらず。

頑張って青岸渡寺まで戻るとするか。







大阪の八軒屋からこの日の最後に見た多富気王子まで、数多くの王子を見てきました。
これらの王子は総称して九十九王子と呼ばれていましたが、実際に見た王子を数えてみると‥

大阪府内
安倍王子、境王子、篠田王子、平松王子、鞍持王子、佐野王子、長岡王子、地蔵堂王子、馬目王子

和歌山県内・紀伊路
中山王子、山口王子、川辺王子、中村王子、吐前王子、和佐王子、平緒王子、奈久智王子、松坂王子、松代王子、
菩提房王子、祓戸王子、藤白王子、藤白塔下王子、橘本王子、所坂王子、一壺王子、蕪坂塔下王子、山口王子、糸我王子、
逆川王子、久米崎王子、津兼王子、河瀬王子、馬留王子、沓掛王子、馬留王子、内ノ畑王子、高家王子、善童子王子、
愛徳山王子、海士王子、岩内王子、塩屋王子、上野王子、叶王子、斑鳩王子、切目王子、中山王子、岩代王子、
千里王子、三鍋王子、芳養王子、出立王子

和歌山県内・中辺路
秋津王子、万呂王子、三栖王子、八上王子、稲葉根王子、一ノ瀬王子、鮎川王子、滝尻王子、不寝王子、大門王子、
十丈王子、大坂本王子、近露王子、比曽原王子、継桜王子、 中川王子、小広王子、熊瀬川王子、岩神王子、湯川王子、
猪鼻王子、発心門王子、水呑王子、伏拝王子、祓所王子、湯峯王子、阿須賀王子、浜王子、佐野王子
浜の宮王子、市野々王子、多富気王子

合計85社ありました。(漏れていなければ) もともと「九十九」は数が多いことの代名詞だと思っていますので、
ぴったり99あるとは思っていませんでしたが結構近い数になりました。大阪府内では跡形もないところもあるので、
昔は99に近い王子があったのかもしれません。



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