有田川を渡ったところ からの続きです。 川を渡ってしばらくは 堤防沿いに歩き、その後 街中へと入っていきます。 街中に入ってすぐにある 得生寺。 まっすぐな石畳が きれいですね。 |
得生寺の先にある 糸我村の一里塚。 江戸時代初期のもので 城下より五里の位置に あるそうです。 もともとは街道の東西に あったのですが、明治 初年に東の塚が除かれ てしまったそう。 西側だけでも残って よかったです。 |
糸我村の一里塚から すぐのところにある 糸我稲荷神社。 神社の角を曲がると‥ |
くまの古道歴史民俗資料館 その名のとおり熊野古道 関連の文化財や、昔の 民具や農機具を展示 しています。 水・木が休館日で、 開館は9時半〜5時まで 中には休憩所もあります。 |
いろんな民具や農機具、 昔の暮らしの様子や、 峠越えの風景なんかも ありました。 ここの到着が10時半。 職員の方にお茶を戴き、 大阪から歩いている ことを伝え、今日は 朝7時に海南駅を出た、 というと、 「走ってるんですか?」 と言われてしまいました。 どうも通常のペース よりは早いようです。 |
京都からの三山詣の様子 が時系列で描かれてます。 藤原定家の熊野御幸記を イラストにしたもの。 足挫いた、咳が止まらない、 何も食べてない、といった 愚痴や、絶景に感動して みたり、本宮到着時には 涙してみたり‥ こりゃよくできてる。 ちなみに京都を出てから 本宮着が16日目、速玉着 18日、那智が19日目。 |
街道にもどり、糸我峠を 目指していきます。 資料館から3〜4分 歩いた街道の左手に 急な上り坂が。 こちらの道を行くと、 雲雀山から糸我峠へ 行けるようなのですが、 地図通りに直進しました。 |
糸我王子跡。 この日9つ目の王子跡。 |
左 くまの道 と書かれた古い道標 その横に最近の道標も。 |
左の道標の道を挟んで 反対側に糸我王子跡の 石碑がありました。 先ほどの糸我王子跡 から百mほど離れて いますが、どうして でしょうかね? ここから糸我峠を 越える山道へ入って いきます。 |
途中に設けられた 休憩所からの眺め。 う〜ん‥ 相変わらず見えない。 絶景だと疲れも吹っ飛ぶ とはいかないまでも、 ちょっとは気もまぎれる のですがね‥ |
かなりキツい登りを なんとか登り切り、 峠茶屋跡に到着。 先ほどの古い道標から 15分ほどでしたが、 疲れました。 ここからは下り坂。 かなり急なので、 焦らずゆっくり 歩きます。 |
下りの道には所々に こんな絵がありました。 現在のハイカーの様子や 昔の古道を歩く人々、 峠から見た景色など、 なかなか楽しめます。 ただ、風雨にさらされ 少し残念な状態になって いるものもありました。 |
急な坂道を下りきり、 湯浅の街に入ります。 行者石を過ぎ、しばらく 行くと逆川神社。 この神社の境内に 逆川王子跡が。 |
逆川王子の名の由来は 付近の多くの川とは 異なり西の海の方へは 流れず、東へ流れている ことから逆川と呼ばれ たのだそうです。 |
逆川王子から逆川を渡って すぐの所にある腰掛岩の跡 後白河法皇が腰かけた岩の ようですが、写真の右手に 写っている岩ではないよう です。どこにあるんだ? それともなんらかの理由で なくなってしまったので、 それらしき岩を置いた のでしょうか? |
弘法井戸。 伝承によると弘法大師が 杖で突くと水が湧き出した そうな。 言われなければ峠とは 気づかない方津戸峠を 越えると、湯浅の市街地 に入ります。 |
山田川沿いにあった 小さな古い道標。 見落としそうなぐらい 小さいものですが、 ガードレールも何も ない時代であれば、 これで十分だった のかもしれません。 |
湯浅市内にある立石の 道町道標。 きみいでら、くまの、 いせ、こうやの文字が 見えます。 随分立派なものです。 湯浅とくれば、醤油や 味噌はお土産の必須 アイテム。是非買って 帰りたかったのですが 断念しました。 まだ歩く予定なので、 醤油・味噌は重過ぎる‥ |
湯浅駅の東のガードを くぐり、しばらく行くと 紀伊国屋文左衛門の碑。 まあ、和歌山といえば このお方は外せない でしょうね。 ここまででスタートから 5時間弱。 |
文左衛門サンの碑の先に 久米崎王子跡が。 街道から少し外れた ところにあります。 |
その後、広川沿いに歩き、 阪和自動車道・広川ICの そばにあった津兼王子。 もとは井関王子と呼んだ そうですが、街道が西側に 移ったことから王子の 場所も変わり、津兼王子に なったそうです。 |
丹賀大権現社。 近隣の王子社はここに 合祀されています。 |
丹賀大権現社から 河瀬橋を渡ってすぐ の所にある河瀬王子。 ちなみに「ごのせ」 と読みます。 |
この辺りは旅籠だった所。 建物自体の面影は あまりありませんが、 昔に使用していた 屋号がいくつも表示 されていました。 |
馬留王子跡。 ここから鹿ヶ瀬峠への 急な登りが始まります。 |
街道沿いの古い道標 古道っぽくなって きました。 |
獣よけのフェンスが。 ハチに注意 マムシに注意 ゴミ捨てるな 入るな、と言わんばかりに 見えるのは気のせい でしょうか。 |
峠の手前は石畳に なっていました。 この辺りまでくれば 勾配も少し緩やかに なってきます。 |
鹿ケ瀬峠に到着。 別名大峠。 馬留王子から ここまで約35分。 標高は354mだそう。 ここからは下りに なり小峠を目指します。 |
10分ほどで小峠へ。 やっぱり下りは 楽ですね。 小峠の少し先から 石畳の道になります。 下りの石畳は滑るので 慎重に歩かないと。 |
石畳の終わった所を 逆から撮ってみました。 ここの石畳は熊野古道の 中で現存する最長の石畳 だそうです。 昔の人もこの石を踏んで 歩いたんですね。 この先にある公園の さらに先に車をとめ、 石畳を見に来る方が 数組いらっしゃいました。 |
石畳が終わった所が 熊野古道散策公園。 桜は「三春滝サクラ」と いうもので、福島県の天然 記念物の苗を植えたもの。 「三春滝サクラ」は後で ネットで調べてみた所、 桜の季節にはテレビなどで よく見かけるものでした。 でもなんで福島県? |
金魚を飼って旅人の 旅情を慰めていたと いわれる金魚茶屋を 過ぎ、しばらく行くと 沓掛王子跡。 |
お昼の2時ごろになり 黄砂も消え、ようやく いい天気になってきました。 |
弘法大師の爪かき地蔵。 現在、地蔵尊の姿は 見られないが、水を かけると浮かび出てくる ことから水かけ地蔵とも いわれているそう。 ただ、信仰心のない人は いくら水をかけても 地蔵尊は出てこないそうな。 試してみたいような、 結果が怖いような。 |
原谷地区を抜けると 馬留王子があります。 鹿ヶ瀬峠の手前にも 馬留王子がありましたが、 あちらは東の馬留、 こちらを西の馬留、 と呼んだそうです。 |
民家の塀の間に 一里塚跡の碑が。 地図に載っていたので わかりましたが、 そうでなければこんなの まず気がつきませんね。 この辺りから西川沿いに 歩いて行きます。 |
なめら橋を渡り 今熊野神社の横には 内ノ畑王子。 |
内原の街に近づき 内原王子神社があります。 境内はきれいに整備 されていました。 また藤原定家の歌碑も ありました。 |
本日18箇所目の王子、 高家王子跡。 この日の王子は これでおしまい。 |
高家王子から1kmほど 歩いたところが本日の 目標地点。 熊野古道は写真の 左前方へ行きますが、 右に曲がり紀伊内原の 駅へ向かいます。 この日は約37km、 8時間半で54,200歩。 |
紀伊内原駅前。 電車まで少し時間が あったのですが、 駅前にはなにも ありませんでした。 |
ここから電車に乗って 戻ります。 あ〜疲れた。 |