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熊野古道 その4
海南〜紀伊内原(後編)




使用マップ(和歌山県観光連盟)

海南〜紀伊宮原   紀伊宮原〜湯浅   湯浅〜紀伊内原


有田川を渡ったところ
からの続きです。

川を渡ってしばらくは
堤防沿いに歩き、その後
街中へと入っていきます。

街中に入ってすぐにある
得生寺。

まっすぐな石畳が
きれいですね。




得生寺の先にある
糸我村の一里塚。

江戸時代初期のもので
城下より五里の位置に
あるそうです。

もともとは街道の東西に
あったのですが、明治
初年に東の塚が除かれ
てしまったそう。

西側だけでも残って
よかったです。



糸我村の一里塚から
すぐのところにある
糸我稲荷神社。

神社の角を曲がると‥











くまの古道歴史民俗資料館

その名のとおり熊野古道
関連の文化財や、昔の
民具や農機具を展示
しています。

水・木が休館日で、
開館は9時半〜5時まで

中には休憩所もあります。






いろんな民具や農機具、
昔の暮らしの様子や、
峠越えの風景なんかも
ありました。

ここの到着が10時半。
職員の方にお茶を戴き、
大阪から歩いている
ことを伝え、今日は
朝7時に海南駅を出た、
というと、
「走ってるんですか?」
と言われてしまいました。
どうも通常のペース
よりは早いようです。

京都からの三山詣の様子
が時系列で描かれてます。
藤原定家の熊野御幸記を
イラストにしたもの。

足挫いた、咳が止まらない、
何も食べてない、といった
愚痴や、絶景に感動して
みたり、本宮到着時には
涙してみたり‥
こりゃよくできてる。

ちなみに京都を出てから
本宮着が16日目、速玉着
18日、那智が19日目。


街道にもどり、糸我峠を
目指していきます。

資料館から3〜4分
歩いた街道の左手に
急な上り坂が。
こちらの道を行くと、
雲雀山から糸我峠へ
行けるようなのですが、
地図通りに直進しました。




糸我王子跡。

この日9つ目の王子跡。














左 くまの道
と書かれた古い道標

その横に最近の道標も。












左の道標の道を挟んで
反対側に糸我王子跡の
石碑がありました。

先ほどの糸我王子跡
から百mほど離れて
いますが、どうして
でしょうかね?

ここから糸我峠を
越える山道へ入って
いきます。





途中に設けられた
休憩所からの眺め。

う〜ん‥
相変わらず見えない。

絶景だと疲れも吹っ飛ぶ
とはいかないまでも、
ちょっとは気もまぎれる
のですがね‥






かなりキツい登りを
なんとか登り切り、
峠茶屋跡に到着。

先ほどの古い道標から
15分ほどでしたが、
疲れました。

ここからは下り坂。
かなり急なので、
焦らずゆっくり
歩きます。





下りの道には所々に
こんな絵がありました。

現在のハイカーの様子や
昔の古道を歩く人々、
峠から見た景色など、
なかなか楽しめます。

ただ、風雨にさらされ
少し残念な状態になって
いるものもありました。




急な坂道を下りきり、
湯浅の街に入ります。

行者石を過ぎ、しばらく
行くと逆川神社。

この神社の境内に
逆川王子跡が。









逆川王子の名の由来は
付近の多くの川とは
異なり西の海の方へは
流れず、東へ流れている
ことから逆川と呼ばれ
たのだそうです。










逆川王子から逆川を渡って
すぐの所にある腰掛岩の跡

後白河法皇が腰かけた岩の
ようですが、写真の右手に
写っている岩ではないよう
です。どこにあるんだ?

それともなんらかの理由で
なくなってしまったので、
それらしき岩を置いた
のでしょうか?





弘法井戸。

伝承によると弘法大師が
杖で突くと水が湧き出した
そうな。

言われなければ峠とは
気づかない方津戸峠を
越えると、湯浅の市街地
に入ります。





山田川沿いにあった
小さな古い道標。

見落としそうなぐらい
小さいものですが、
ガードレールも何も
ない時代であれば、
これで十分だった
のかもしれません。








湯浅市内にある立石の
道町道標。

きみいでら、くまの、
いせ、こうやの文字が
見えます。
随分立派なものです。

湯浅とくれば、醤油や
味噌はお土産の必須
アイテム。是非買って
帰りたかったのですが
断念しました。
まだ歩く予定なので、
醤油・味噌は重過ぎる‥

湯浅駅の東のガードを
くぐり、しばらく行くと
紀伊国屋文左衛門の碑。

まあ、和歌山といえば
このお方は外せない
でしょうね。

ここまででスタートから
5時間弱。







文左衛門サンの碑の先に
久米崎王子跡が。

街道から少し外れた
ところにあります。











その後、広川沿いに歩き、
阪和自動車道・広川ICの
そばにあった津兼王子。

もとは井関王子と呼んだ
そうですが、街道が西側に
移ったことから王子の
場所も変わり、津兼王子に
なったそうです。








丹賀大権現社。

近隣の王子社はここに
合祀されています。












丹賀大権現社から
河瀬橋を渡ってすぐ
の所にある河瀬王子。

ちなみに「ごのせ」
と読みます。











この辺りは旅籠だった所。

建物自体の面影は
あまりありませんが、
昔に使用していた
屋号がいくつも表示
されていました。









馬留王子跡。

ここから鹿ヶ瀬峠への
急な登りが始まります。













街道沿いの古い道標

古道っぽくなって
きました。












獣よけのフェンスが。
ハチに注意
マムシに注意
ゴミ捨てるな

入るな、と言わんばかりに
見えるのは気のせい
でしょうか。









峠の手前は石畳に
なっていました。

この辺りまでくれば
勾配も少し緩やかに
なってきます。










鹿ケ瀬峠に到着。
別名大峠。

馬留王子から
ここまで約35分。

標高は354mだそう。

ここからは下りに
なり小峠を目指します。








10分ほどで小峠へ。

やっぱり下りは
楽ですね。

小峠の少し先から
石畳の道になります。

下りの石畳は滑るので
慎重に歩かないと。






石畳の終わった所を
逆から撮ってみました。

ここの石畳は熊野古道の
中で現存する最長の石畳
だそうです。

昔の人もこの石を踏んで
歩いたんですね。

この先にある公園の
さらに先に車をとめ、
石畳を見に来る方が
数組いらっしゃいました。




石畳が終わった所が
熊野古道散策公園。


桜は「三春滝サクラ」と
いうもので、福島県の天然
記念物の苗を植えたもの。

「三春滝サクラ」は後で
ネットで調べてみた所、
桜の季節にはテレビなどで
よく見かけるものでした。

でもなんで福島県?


金魚を飼って旅人の
旅情を慰めていたと
いわれる金魚茶屋を
過ぎ、しばらく行くと
沓掛王子跡。












お昼の2時ごろになり
黄砂も消え、ようやく
いい天気になってきました。













弘法大師の爪かき地蔵。

現在、地蔵尊の姿は
見られないが、水を
かけると浮かび出てくる
ことから水かけ地蔵とも
いわれているそう。
ただ、信仰心のない人は
いくら水をかけても
地蔵尊は出てこないそうな。

試してみたいような、
結果が怖いような。




原谷地区を抜けると
馬留王子があります。

鹿ヶ瀬峠の手前にも
馬留王子がありましたが、
あちらは東の馬留、
こちらを西の馬留、
と呼んだそうです。








民家の塀の間に
一里塚跡の碑が。

地図に載っていたので
わかりましたが、
そうでなければこんなの
まず気がつきませんね。

この辺りから西川沿いに
歩いて行きます。







なめら橋を渡り
今熊野神社の横には
内ノ畑王子。













内原の街に近づき
内原王子神社があります。

境内はきれいに整備
されていました。

また藤原定家の歌碑も
ありました。









本日18箇所目の王子、
高家王子跡。

この日の王子は
これでおしまい。











高家王子から1kmほど
歩いたところが本日の
目標地点。

熊野古道は写真の
左前方へ行きますが、
右に曲がり紀伊内原の
駅へ向かいます。

この日は約37km、
8時間半で54,200歩。






紀伊内原駅前。

電車まで少し時間が
あったのですが、
駅前にはなにも
ありませんでした。










ここから電車に乗って
戻ります。

あ〜疲れた。















今回の予定では約37kmの道程。しかも藤白坂、拝ノ峠、糸我峠、鹿ヶ瀬峠と4つの峠越え。
無謀とも思われた計画で、峠が多いので10時間ぐらいかかるかな‥と思っていたのですが、
なんとか8時間半で終了。3月の下旬で暑くも寒くもない気候も味方してくれました。
これでちょっと自信がつき、次回からも30km超を歩くことになっていきます。


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