王子谷越えルートを 選択し、谷越えへ突入。 民家の横の細い路地を 入っていきます。 |
道は荒れていました。 倒木が行く手を遮り ますが、なんとか 進んでいきます。 急勾配だし、倒木はあるし、 落ち葉で足元は滑るし‥ 木につかまりながら 登っていきます。 |
所々階段が埋め込んである のですが、ほとんどは 落ち葉で隠れてしまって います。 だんだん道そのものが わからなくなってきました。 半分感を頼りに上へ上へ。 現在の整備状態はわかりま せんが、あまりお勧めできる ルートではないです。 |
峠を越えると下りに。 下りは倒木はあまりなかっ たのですが、道が見えない のは登りと同じ状態。 3枚ほど王子谷の写真を 載せましたが、もっと凄い 状態になっていた所も。 正直、もの凄い状態の 所は写真を撮る余裕が ありませんでした。 |
なんとか稲葉根王子に 到着。 王子谷越えの感想は‥ 「我、無事帰還セリ。」 稲葉根王子も五躰王子の ひとつです。 |
稲葉根王子から次の 一ノ瀬王子までは、 市ノ瀬橋を通るルートと 興禅寺を通るルートが あります。 興禅寺ルートの方が2kmほど 長いのですが、裏道っぽい 感じもしたので、興禅寺 ルートを選択。 |
富田川沿いを南へ。 水の色もきれい。 この先に今回の道程の 中で見たかったもの があります。 |
潜水橋。潜水橋は通称で、 この橋は畑山橋が正式名称 川が増水したときに、 橋が流されないための 構造だそうで、そのため 増水時に抵抗となる欄干が ありません。 モチロン増水してしまうと、 通れなくなってしまいます。 潜水橋と呼ばれるタイプの 橋の形は、この先も所々で 見かけました。 |
実際に渡ろうとすると こんな感じです。 単車や自転車は通れますが 慣れないとかなり怖そう です。 歩きでも、急に突風がきたら 危ないかもしれません。 道幅は両手を広げると はみ出てしまうぐらいです。 |
潜水橋を渡り、興禅寺を 目指して歩きます。 この辺りはホタルが いるんですね。 |
興禅寺の手前にあった‥ なんだったっけ?? |
興禅寺に到着すると‥ なんだこれは? |
前に回るとダルマでした。 興禅寺の別名はダルマ寺。 このダルマは日本一だそう で全国だるま八名刹の一つ に指定されているそうな。 ダルマが白いというのに なんか違和感を感じて しまいます。 普段、ダルマは赤いもの、と 思っているからでしょうね。 |
一旦、再度富田川に出て 一ノ瀬王子に到着。 南部を出てからここで 5時間ほど。 ここからは富田川沿いを 右にいったり左にいったり しながら上流へと進んで 行きます。 |
写真の赤い橋が加茂橋。 これをわたって<の形に 見える斜めに上る道へ。 なんか凄い急勾配。 少し疲れてきたころなので、 上る前にこんな急勾配を 見せられると気がめいって しまいます。 |
水の色がきれいな富田川。 私は釣りはしませんが、 鮎なども釣れるそうです。 この先、鮎川王子の 手前にはAコープなど もあり、食糧調達も可能。 |
加茂橋を渡り、住宅街の中を歩いていくと鮎川王子跡。 2008年に熊野古道に関する事件がありました。新聞記事を引用すると、 世界遺産の熊野古道のシンボルとして親しまれ、2008年6月に切断されているのが見つかった 石像「牛馬童子」(和歌山県田辺市中辺路町、市指定文化財)の頭部とみられる部分が発見された。 田辺署は本物かどうか調査中で、器物損壊容疑で捜査している。 牛馬童子像は高さ約50センチで、牛馬2頭にまたがった僧服の童子の像。花山法皇が旅をする姿を 模して明治時代に作られたと伝えられる。2008年6月18日、熊野古道を散策していた人が 頭部の切断に気付いた。同年10月には市が頭部の複製を胴体とつなげて修復した。 この切断された頭部が見つかったのが、鮎川王子の近くにある鮎川バス停のベンチ。 犯人が置いて行ったものだと思いますが、なんでこんなことをしたのでしょう?? |
鮎川王子の先で鮎川新橋を 渡り、再び富田川の右側へ。 住吉神社の手前には大きな 木の根元にできた穴を 利用した祠が。 |
住吉神社。 鮎川王子社はこの神社に 合祀されています。 住吉神社の勧請は1700年の 初めごろだとか。 |
住吉神社の先から 登り坂になります。 随分高いところまで 上がってきました。 眼下に見える橋も 潜水橋ですね。 |
のごし橋のたもとに 藤原定家の歌碑が。 この名前もよく出てきます。 藤原定家は1201年、後鳥羽 上皇の熊野御幸に供奉した 歌人です。 一行がこの辺りに来たのは 京都を出発してから 13日目だったそうです。 |
定家の歌碑の先から 未舗装の道に。 稲葉根王子の手前の 王子谷越え以降、 ずっと舗装された道 だったので、久々の 古道っぽい道。 |
道祖神と庚申塚。 道祖神は路の悪霊を除き 旅人を守る神。 庚申塚は病魔や病鬼を払い 除くとされ、縄で縛ると 失物が見つかるそうな。 縛られまくられても 庚申塚は困るだろうけど。 |
古道は富田川のすぐ横を 通っています。 場所によっては川面から かなり高い場所も。 道も細く柵もない場所も 多いので、歩くのには 注意が必要です。 でも、こんな道のほうが 古道らしくていいですね。 |
オオウナギ棲息地の碑。 オオウナギは熱帯性の ウナギで富田川が棲息地の 北限がそうです。 鮎川付近で1.7m、28kgの オオウナギが保護された こともあるそうな。 近い将来、温暖化で北限が 富田川でなくなってしまう かもしれませんね。 |
オオウナギの棲息地碑の先 北郡トンネルを越える ようなかたちで、 急な登り坂になります。 特に道が荒れていることは ないのですが、かなりの 距離を歩いたあとの登り だったので、かなり堪え ました。 くだり終えると舗装道に 合流します。 |
北郡橋を渡って三度 富田川の反対側へ。 写真からもお判りいただける と思いますが、なかなか 立派な吊り橋でした。 |
しばらく舗装道を行くと 清姫の墓があります。 この辺りが清姫の生誕の 地だそうです。 清姫の墓はもともと300m程 上流にあったそうですが、 国道の拡幅に伴い、現在の 場所に移されました。 大蛇にもなってしまう清姫の 墓ですから、動かすときは 勇気がいったでしょうね。 |
清姫のバス停。 バス待合所には自転車が。 自宅からここまで自転車 で来てるのでしょうね。 待合所が雨除けにも なります。 皆が同じ事をしたらすごく 邪魔になりそう、 と思ったのですが、 邪魔になるほどの利用者は いないのかも。 |
国道沿いには「本宮」の 文字もチラホラ出てきました。 もう少し、とはいいませんが 遥か先でもないことを実感。 |
滝尻への最後の道は 富田川沿いにh走る 国道311号線を歩いて いきます。 ここまでくればゴールまで あと少し。 |
熊野古道館が見えてきました。 熊野古道館は12角形の形の建物。これは中辺路町に12社の王子社があることにちなんだもの。 古道館の中には滝尻王子の貯蔵品や、熊野古道を紹介したビデオなんかもあります。 また無料の休憩所やトイレ、簡単なグッズ販売のコーナーもありました。 地図やパンフレットなどもありました。 |
この橋を渡って 右手が熊野古道館。 左手が滝尻王子になります。 |
滝尻のバス停から 紀伊田辺へバスで戻ります。 バスは1時間に1本程。 まだ本数は多いほうです。 |
バスが来ました。 立つほどではありませんが 座席はそこそこ埋まって ました。 |
紀伊田辺駅に到着。 降りる際、お金を払おうと 財布をのぞいてみると 1万円札しかありません。 乗客全員が降りるのを待ち 運転手さんにその旨を 申し訳なく告げたのですが ちゃんとお釣りが準備 されていました。 よかった。 |