西国街道(旧山陽道) その1
京都・東寺〜高槻




使用マップ(大阪府)

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前回、熊野古道を歩き終えたのが7月下旬。8月になり、次はどこを歩こうかな‥と考えていました。

琵琶湖一周? 淡路島一周? いろいろ考えたのですが、西国街道を歩いてみることにしました。
選んだ理由はまだまだ暑い続きそうなので、できるだけ近場で、かつエスケープポイントが多い道なので。
京都から西宮へ通じる西国街道。ところが西国街道というのがややこしい。

京が起点であることにはかわりないのですが、時代によっては山陽道と呼んだり、
終点が大宰府だったり下関だったり‥。
また西国街道のうち、京〜西宮間は特に山崎道と呼んだり‥

というわけで、○○道、と特定できないのですが、細かいことは気にせず歩くことにしました。(笑

8月のお盆明けに京都の東寺へやってきました。
丁度弘法市にあたる日で、境内は人でいっぱい。



国道171号線を歩いて
すぐ右側に羅城門跡。

平安京のメインストリート
である朱雀大路の南端に
設けられた大門の跡。

ここにあった門を境に
京の内外を分けていた
そうです。





国道171号線の九条御前
交差点のところを左斜めに
入っていきます。

大阪府の地図では、しばらく
国道を歩くことになって
いますが、色々調べた結果、
大阪府の地図は所々旧街道
から外れて、迷いにくい
道を挙げているようです。






桂川に架かる久世橋を
渡っていきます。

橋を渡り切る手前に
「←羽束師」と書かれた
道路標識がありました。

なんと読むのだろう‥

「はずかし」だそうです。




川を渡ると「いづみや」と
書かれたお店が。

桂川に屋形船を浮かべ、
食事などを楽しむ遊船を
出されていたそう。

今もやっておられる
のですかね。






いづみやさんのすぐ南に
あった道標。

ここで桂川沿いに走る
県道123号線と分かれ、
右斜め下の道へ。

その後、道なりに右へ
カーブして進路は西へ。






国道171号線と、東海道
新幹線を横切っていきます。

さらにJR東海道線を
地下道でくぐると、
JR向日町駅前。










向日町の駅前を斜め右
(南西方向)に入って暫く
行くと、阪急東向日駅の 南側の踏切に出ます。

この辺りの商店街は
激辛商店街と銘打って
いろんな激辛メニューが
あるそうな。

辛い物好きの私としては
是非いろんな所に入って
みたいのですが、入って
しまうと動かなくなる恐れが
あるので、先を急ぐことに。

阪急の踏切を渡ってすぐ、
県道から分かれて左斜めの
細い道へ入っていきます。














しばらく行くと、右手には
向日神社。

ここの境内には境内社に
天満宮があったのですが、
失念していました。

菅原道真フリークの
私としては失態です。







排水溝にはこんな細工が。

オジサン、ニコニコして
歩いていますが、私には
そんな余裕はなし。

というのも、この日は
猛暑と呼ぶに相応しい(?)
日で、最高気温は35度を
越えていました。







再び阪急の踏切を渡り、
少し行くと中小路住宅。

1848年のものだそう。

現在は喫茶店にも活用
されています。









この辺りの上植野町下川原
地区は、街道沿いに白壁の
土蔵や塀が残っており、
昔の街道が偲ばれます。

道も石畳になっています。












小畑川に架かる一文橋。

ここには室町時代頃から
有料の橋があったそう。
橋の名前通り通行料は一文。

大雨のたびに橋が流され
その架け替え費用に
あてられていたそうです。









馬場1の交差点で県道から
側道へ入ります。

西国街道は豊臣秀吉が朝鮮
出兵に際して拡張整備した
ことから、秀吉が作った道
として知られ、江戸時代には
「唐道」「唐海道」とも
呼ばれていたそう。








JRの長岡京駅前まで
きました。

スタートしてから
1時間半ぐらい。









街道沿いに駅名標が。

もちろん後ろにホームや
線路があるわけでは
ありません。

今の長岡京駅は平成7年に
神足駅から改名されたもので
その改名で不要になった
駅名標を移設してきたもの。








旧石田家住宅。店舗と住居を兼ねた町屋で規模が大きく、江戸時代末期の町屋建築の
基準となるもので、平成12年に国の登録有形文化財となりました。

町屋独特の風情をもつこの住宅は、神足村の旧家岡本家一族の商家で、
江戸時代には「紙屋」の屋号で和紙などを商っていたそうです。

今は長岡京市が買い取り「ふれあい町屋」として整備され、中には地域の物産を販売するコーナーや、
喫茶スペース、トイレなんかも整備されていました。









右 山さき
左 よと
と書かれた道標。













JR東海道線のガード、
名神高速道路のガードを
続けてくぐってくると、
大山崎町の役場前。

ここまででスタートから
2時間半ぐらい。










サントリーの山崎工場。
ちょうどサンダーバードが
来たので、一緒に撮って
みました。

こういう風景の場合、
できれば列車を入れたく
なるのは何故でしょうね?










歩道にあった車除けかな?
筍の形をしています。

この辺りは産地ですね。

ただ、筍でなく、青虫に
見えてしまうのは
気のせいでしょうか?









桜井駅跡。現在のJR
島本駅の前にあります。

駅とは大化の改新以降、幹線
道路に中央と地方の情報を
伝達するために馬を配置した
役所のことで、30里ごと
(約16km)に設置された
そうな。ここもその1つ。







島本駅の少し先からJRの
線路の北側へ出ます。

この後、線路の北側を平行に
走る県道67号線を歩いて
行きます。この県道は国道
171号線が渋滞している時、
抜け道として使われ、交通量
も多いのですが、道が狭く
見通しが悪い。

なので、車通しのすれ違いが
できずに往生している場面を
よく見かけます。



街道沿いの北側にある
畑山神社。

ここの神社には一度
来たことがあります。










檜尾川にかかる橋の欄干に
こんな図柄が。

昔の大名行列ですかね。
見てみたい気もしますが、
昔だと通り過ぎるまで
ひれ伏してじっとして
いないとダメなので、
結局見られないのか。








高槻市内の中心部の近く
まで来ました。

昔はユアサバッテリーの
工場があったところ。

今は関大のキャンパス。
12階建の建物ですが、
当初の計画は30階建。
30階建のビルにある
小学校ってなんかね‥。




高槻駅前に到着。大きな
鳥居は上宮天満宮のもの。

この上宮天満宮も何度か
来たことあます。
上宮は「じょぐう」と
読みます。

ちなみに高槻駅は鳥居の
反対側。



芥川商店街の東橋には
芥川仇討ちの辻。

約300年前、石見国吉永城下
で2人の若侍が稚児の争奪を
巡る争いで藩士を江戸で殺
害。その子が京で剣術を学び
諸国を遍歴すること二年半。
敵が芥川宿の旅籠に入る姿を
見、宿を立ち去るところを
不倶戴天の敵を討ち取り
本懐を遂げた。
討たれた敵は自分は討たれて
当然であると言う書状を
懐に忍ばせていたそうだ。


芥川の一里塚跡。

今回はここでおしまい。

約21kmを4時間15分、
22,100歩でした。











当初の予定ではこの先、茨木辺りまで歩くつもりでした。高槻で遅い昼食を取ろうと中華料理屋さんへ。
お店のテレビでは夏の甲子園を放送中で、しかも興南 vs 東海大相模の決勝戦。
試合そのものは既に8回の表で大差がついており、結果は出ていたような試合でしたが‥
なんとなく最後まで見たくなり、ビールを頼んでしまったのがダメでした。飲んだ後は歩く気力が全く出ず。
かなり暑かったせいでもあるのでしょうけど。次回は高槻から西宮を目指します。

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