西国街道の続きを歩きます。前回終了地点の高槻・芥川一里塚から。朝の7時すぎにスタートしました。 芥川は12世紀ごろには宿として成り立っていたそうですが、きちんと宿場町としての姿を整えたのは 17世紀の初め、江戸時代になってから。 19世紀前半には旅籠33軒、家数も253を数えるほどの大きな宿場町だったそうです。 新しく買ったオモチャ、GPSロガーをこの日の歩きから投入。 どれだけの精度があるのか、楽しみです。 |
芥川を渡ります。 天気がとてもよく、 気持ちいいのですが、 歩いたのは8月下旬。 何度まで気温が 上がるか心配です。 |
ずっと住宅街の中を 歩いて行きます。 太田茶臼山古墳の南側を しばらく行くと東芝の 工場が見えてきます。 その右手には 太田神社の参道。 |
しばらく行くと右手に 地蔵堂。 敷地内には老人クラブの 集会所もありました。 地蔵堂の敷地に集会所か、 集会所の敷地に地蔵堂か、 どちらかはわかりません。 |
老人クラブの敷地には 大きな倒木がありました。 生えていれば立派な 木だったでしょうね。 |
安威川を渡り、名神高速の 高架をくぐって少し行くと 右手に阿為神社御旅所。 阿為神社はここから 1.5kmほど北側にあります。 |
御旅所からすぐのところに 妙法山法華寺。 |
茨木川まできました。 この辺りは白井河原合戦が あった場所。かなり激しい 合戦だったようで、この辺り 一面血に染まったと いわれています。 モチロン、今はその面影は ありません。 |
府道110号と交差する 所には中河原の道標。 西国街道と難波宮からの 三嶋路、亀岡・福井への 清坂越道と、主要幹線の 拠点だったようです。 |
国道171号線を北東から 南西方向へ横断し、 郡山宿本陣へ。 京都〜西宮間では、山崎・ 芥川・郡山・瀬川・昆陽の 5つの宿駅があり、 ここ郡山はちょうど中間。 |
本陣は1718年に類焼にあい 焼失してしまいますが、 3年後の1721年には西国 諸大名の寄付などにより 再建されます。 この建物は1721年に再建 されたもの。 |
勝尾寺川にかかる橋の 欄干にはこんな細工が。 こんな配慮はいいですね |
大阪モノレールの豊川駅の 高架をくぐり、しばらく 行くと小野原地区に入り 右手には春日神社の御旅所。 もうこの辺りは高槻市から 茨木市を越え箕面市です。 |
小野原辺りも下は石畳。 できることなら、他の場所と 同じ石畳にして統一感を 出して欲しいのですが、 自治体が違うとそうも いかないのでしょうね‥ |
府道120号線を越え さらに西へ進んでいくと 勝尾寺の参道が 右手に見えてきます。 勝尾寺への道はいくつか あるようですが、ここ 新家の大鳥居を基点に して向かう道が表参道。 ここから勝尾寺までは 4kmほどの道のりです。 |
西国街道は国道171号線の すぐ南側を平行するように 続いてます。 府道119号線を越え、 新御堂筋の手前で 国道171号線に合流。 この地点でスタートから 2時間半。 |
新御堂筋をすぎ、最初の 細い道を左へ入ります。 |
萱野地区に入りました。 この辺りも立派な旧家が 残っています。 |
萱野三平旧邸。 三平は赤穂藩士で、 大石内蔵助を中心とした 仇討ちの同志に加わろうと しますが、父親の反対にあい 参加できず、苦心のすえ ここで自害したそうです。 |
家、松、石垣がきれいに 調和しています。 こりゃ見事。 |
牧落の交差点の手前で 再び国道171号線に合流。 別にミスタードーナツの 回し者ではありませんよ。 国道の牧落交差点を過ぎて すぐの右斜めへ延びる 側道へ入ります。 |
牧落の旧札場。 幕府や領主から出された 命令・規則などの御触れを 書いた木札・貼紙をここに 掲示して、村民たちに 知らしめたそうな。 町内の掲示板なんぞ、 今もいろんな場所で見ますが、 昔とやり方は一緒なんですね。 |
この辺りもきれいに 舗装されていました。 |
阪急の箕面線の踏切を越え、 しばらくはまっすぐな道を 歩いていきます。 |
阪急桜井駅の北側を通り、 しばらく行くと瀬川本陣跡。 1700年代には半町も瀬川 本陣同様の旅舎を造りあげ、 半町本陣とも呼ばれて いたそうです。 |
箕面川の手前で南下し、 阪急の踏切を越え、 一旦国道171号線に合流。 でもすぐ右側の側道へ。 側道に入って左手には 春日弁財天社があります。 |
阪急石橋駅の南側の交差点。 国道171号と176号が 交差します。 ここまででスタートから 3時間半弱。 |
先程の交差点から南西へ 延びる側道に入ってすぐ、 阪急宝塚線の踏切の手前に 旧石橋村の高札場跡。 ここは西国街道と大坂と 能勢方面を結ぶ能勢街道が 交わったところ。 「江戸時代の高札を復元」 とありました。 どんなものなのかな? |
??? どれだ??? 左手にある案内板が それでしょうか? |
その後住宅街の中を歩き、 中国自動車道を越え、 しばらく行くとまたまた 国道171号線に合流。 伊丹市に入りました。 まだ時刻は11時なのですが 気温は既に35度‥ |
写真の軍行橋の手前で 兵庫県に入りました。 ここでスタートから4時間。 遠くに六甲の山並みが きれいに見えます。 あまりの暑さ故、かなり 水分も接種しましたが、 自動販売機がそこら中に あるのは助かります |
伊丹空港がすぐ近くなので、 軍行橋が架かる猪名川には 誘導灯が。 夜に通ると結構きれい。 |
兵庫県に入ると、案内板の
形も変わっていました。 このような案内板を整備 するのは県単位ではなく 市単位ですね。 なので、ちょっと歩くと 案内板の形が変わって いきます。 |
伊丹空港が近いので 頭の上を飛行機が頻繁に 飛んでいきます。 やはりかなりうるさい。 |
県道13号線の手前で 多田街道と交差。 多田街道の一部は伊丹市の 都市景観形成道路に指定 されており、キッチリ 整備されていました。 |
多田街道へ少しそれてみると こんな水車小屋が。 |
多田街道との交差点から 少し行き、県道13号線を 越えると伊丹坂。 坂と行ってもホンの一瞬の 上り坂。 |
大鹿地区に入ってきました。 単なる民間の月極駐車場 なのですが、ご覧のように 白壁で仕切られていたり、 提灯が出してあったり、 なかなかいい雰囲気です。 |
その近くにあった伊丹 消防団の分団も、 ご覧のような感じ。 |
県道332号線を越えると 陸上自衛隊の千僧駐屯地。 駐屯地の南側を歩いて 行きます。 |
京から西宮へ通ずる西国 街道は、現在の国道171号 とほぼ同じようなルートを 通ります。 幹線道路は主要地を結んで いますので、今も昔も 主要地が変わっていない、 ということでしょうか。 |
西国街道の一部も伊丹市の 都市景観形成道路に 指定されているようです。 先ほどの大鹿地区も 含まれているようですね。 そのためか、こんな立派な 案内板もいくつか みられました。 |
再び国道171号線に合流し 昆陽を抜け武庫川の畔へ。 昔はここに髭の渡しがあり、 このまままっすぐ川を 渡ったようなのですが、 現在は橋がなく、南方の 遠くに見える橋を使って 回り道するしかありません。 暑かったので川をジャブ ジャブ突っ切っていっても よかったのですが、 大人なのでやめました。(笑 |
その回り道用の甲武橋。 山並が先程の軍行橋の 時よりはっきりと 見えてきました。 手前には小さくですが 甲山も見えています。 ここでスタートから6時間。 橋を渡って再び北上します。 |
武庫川の西岸には報徳学園。 2010年の夏の高校野球全国 ベスト4。 そのほかのスポーツも盛ん。 野球は新チームで練習して いるかとも思ったのですが、 残念ながら姿は見られず。 報告学園から南西方向へ 進み、西宮を目指します。 |
新幹線の高架をくぐり、 ドンドン南西方向へ。 道端にはこの辺りの案内が ありました。 甲東文化財保存会が 建てられた案内板。 こういう人たちのおかげで 退屈せずに歩くことが できます。 感謝、ですね。 |
この辺りから曲がり角には ご覧のような道標が。 わかりやすくてありがたいの ですが完全に車仕様の道標。 一方通行の道などもあり、 間違えて入ってしまう車は ないんでしょうかねえ |
阪急門戸厄神駅前の商店街。 いつもそうなのですが、 歩きの後半になってくると 写真の数が減ってきます。 後日、まとめてる時に 「イカン、またか‥」と 思うんですがねえ。 といってもどうすることも できませんね。 |
厄神道標。 日本三体厄神のひとつの 門戸厄神はこの近く。 なお、正式名称は門戸厄神 ではなく、松泰山東光寺。 |
西宮中央公園のところで 国道171号線を越えて 南へ進路を取ります。 |
阪急、国道2号線を横切り JR西宮駅付近へ。 今回はここで終了。 本来ならもう少しだけ歩き、 西宮神社で終了にすれば 区切りはいいのでしょうが‥ |