美山川を渡って また国道と合流。 5〜600mほどで右斜めに 伸びる側道に入ります。 |
この大曲の看板のところを 左に曲がりまた国道と合流。 大曲ってなんだ?と思って いましたが、正解は後程。 |
国道486号線をしばらく 歩いて行きます。 |
右手にある消防の出張所の 前には岡山県の道路原標。 明治十四年とありますが、 新しい物なので、複製された ものでしょうかね。 |
史蹟旧山陽道備中國浅海村 才の前下座所跡と書かれた 新しい石標。 柵の向こう側なのでちょっと 読みにくいです。 折角なのにもったいない‥。 |
国道の左側、毎戸池のほとり
には光明真言供養塔。 |
毎戸下池の先には一里塚跡。 この先で左にのびる側道へ 入ります。 |
少し行くと堀越宿。 堀越宿は矢掛と七日市の間の 「間の宿」と言われる宿。 街道沿いの宿場と宿場の間に ある宿駅を補完する所を間の 宿と呼んだそうです。 |
堀越宿を過ぎると、 また国道486号線に合流。 |
国道沿いにいた ちいさなお地蔵さん。 麦わら帽子がやたら 似合ってますね。 うっすら笑った顔が なんともいい表情です。 |
井原市に入ります。 看板を撮りたかった のですが、S川急便さんの バンがどいてくれません でした。 |
今の看板のところ、こんな 右手の細い路地にはいり、 また井原鉄道をくぐります。 |
高架をくぐり、坂を登ると 井原鉄道の線路がまっすぐ 見えました。 列車が来ないかな〜と思い、 2〜3分待っていたのですが、 残念ながら現れず。 |
押延の集落を 抜けていきます。 |
押延の集落を抜け、 井原鉄道のガードをくぐり、 またまた国道に合流。 |
「ヒ〜」ってなんだ? 実は上半分の電飾が壊れて いたようです。 食事処の前にあった 電飾看板なので、 正解はコーヒーでしょう。 |
早雲の里荏原駅の南を過ぎ、 次の信号のところで 右斜めの側道へ。 |
青木の交差点の手前で 国道に合流しかけますが、 合流せずにそのまま 右斜めの側道へ。 |
また国道に合流しますが、 すぐ右側の側道へ。 今市の街に入ります。 |
今市の集落へ。 ここまででスタートから 4時間と少し。 街道沿いには 旧山陽道(参勤交代街道) と書かれた標柱も。 |
今市駅本陣が あったところ。 跡の標柱だけで 本陣の面影はありません。 |
中堀城跡。 那須頼隆の二男那須光隆に よって築かれたそう。 城跡というより、この辺に あった、という感じです。 |
相田嘉三郎の旧邸。 明治初期、養蚕業や製糸業で 財を築いた人だそう。 |
西江原の街にはいり、 神戸川を越えてすぐの この二股は左へ。 |
右手には蓮華寺。 個人の家と間違いそう。 |
やがて小田川の土手に ぶつかります。 旧山陽道の標柱。 土手で風雨がきついの でしょうか、字がかなり 消えかかっています。 あとどれぐらいすると 読めなくなってしまう のでしょうかね。 |
ここも直進できないので、 右手に見える橋で渡ります。 川を渡ったら再び西へ。 |
七日市宿に入りました。 ここは跡地の石碑だけで、 本陣邸などは見当たり ませんでした。 |
江原駅前の大通り。 |
左手には岩山神社の鳥居。 |
背の高いガードレール。 ここまで高くする必要は あるのでしょうかね? |
立派な家も残っています。 |
敷地内には小さな祠と 立派な鳥居だけ、という なんともシンプルなつくり。 |
下出部の街を抜け、 大曲公園の二股の道を右へ。 ここに大曲の説明が 書いてありました。 大曲とは、二か所の大きな 直角の曲がり角を併せること により、単調な旅に変化を 付けるため一里塚と共に つくられたものだそう。 |
その後、国道313号線を 横断。 しばらく行くと旧山陽道 備中大橋跡と書かれた石標。 |
しばらくすると高屋川に 道は並行するようになります。 |
高屋川を越えた所に法泉院。 寄付を募る案内が出てました。 |
高屋宿に入りました。 |
ここ高屋地区は中国地方の 子守歌発祥の地だそうです。 |
高屋宿を抜けると岡山県と広島県の県境。 だいぶ来たような気もしますが、 この先の広島、山口の両県は 横に長いのでまだまだですね。 |