どんどん西へ歩いて行くと、 右手に八幡宮。 境内には立派な石灯籠も ありました。 |
しばらく行くと上御領の 一里塚跡。 右手に標柱、左手に石碑が ありました。 ここの一里塚は寛永十年 (1633年)頃作られたもの とされています。 今はもう跡だけですが。 |
その先、右手にある宗重池の ほとりには琴平宮の常夜燈と 地神の碑。 |
歩いているとプールらしき ものがありました。 何年も使ってないような 感じでした。 子供が少なくなってきた のでしょうかね。 |
上御領から下御領にかけて、 細い路地が続きますが、 基本は西へ。 こちらは明正寺。 境内のトイレを借りました。 |
日吉神社。 ここもすごい石段です。 この日見かけた神社は 山の中腹に建てられ、 長い石段を登らねばならない 神社が多かったです。 |
宮池とその奥は 下御領八幡神社。 この辺りから道は 南西方向に。 |
下御領八幡神社の参道。 |
福山市消防署の分署。 かなり古い建物らしく、 看板は右から左への横書。 |
県道181号と西国街道の 交差地点には国分寺へ つながる参道。 南大門跡の碑が見えます。 |
その後、道は堂々川と並行 するようになります。 堂々川といっても、やたら 大きな川ではありません。 |
その後、国道313号線に 合流。南下して井原鉄道の ガードをくぐります。 井原鉄道のガードをくぐる のって、今日何度目だろう? |
歩いていると、住宅から 車が飛び出してました。 見た所、店舗じゃなさそう でしたので、広告のかわり ではなさそうだし‥ なんあんでしょうね? |
高渕橋東詰の交差点で右に はいると高屋川。 この先は神辺宿に入ります。 |
右手には坂本デニムさんの 工場がありました。 この系統には疎いのですが、 なんでも明治25年創業で、 ジーンズなどに利用される デニム糸染色用の染色機を 開発しされたそう。 |
神辺宿に入り右手の荒神社。 その境内には‥ |
一里塚跡が。 |
廉塾と菅茶山旧宅。 菅茶山は京で朱子学を学び ここに塾をつくった方。 全国から塾生が集まってきた そうです。 廉塾ができたのは1781年頃。 |
この神辺宿にも立派な旧家が 多く残っていました。 |
旧山陽道川邊駅跡と書かれ、 「太閤屋敷あと」の文字も。 なんでも秀吉が朝鮮役から 帰途に立ち寄った館の跡 だとか。 |
この旧家の前には本陣跡の 看板がありました。 |
こんな立派な洋風建築も。 今は使われていないように 見えましたが、最初はなにに 使われた建物でしょうね。 銀行とかでしょうか。 |
県道390号線を南へ行き、 右手には光連寺。 少し行くと右手には JRと井原鉄道の神辺駅。 |
駅前の通りに広島焼きそばの のぼりが出ていました。 広島焼きは聞いたこと ありますが、広島焼きそば というのがあるのを初めて 知りました。 流行りのB級ですかね。 |
神辺駅で終わってもよかった のですが、時間と足に余裕が あったのでさらに進むことに。 一瞬国道313号線と合流 しますがそのまま直進します。 写真は丙里池の右側の所。 直進が2本ありますが右側へ。 |
天理教の横までくると、 国道182号線と313号線 が交差する地点に出ます。 写真で車が並んでいるのが 182号。 これを越えていきます。 182号線は高架になっていて、 くぐることも横断することも できましたが、信号待ちが 面倒なのでくぐることに。 |
ゴルフ練習場の横をとおり、 少し行くと国道313号線 に合流。 |
国道は歩道がないので 気をつけて歩きます。 しかし、皆さん結構な スピードで走りますね。 |
やがて鶴ヶ橋南詰の交差点。 街道はここを右へ行きますが、 この日はここで終了し、 左方向のJR横尾駅へ。 |
JR横尾駅。無人駅でした。 |
JR福塩線で神辺へ。 1駅分だけです。 |
神辺駅で井原鉄道に乗換。 |
スタート地点の吉備真備駅 まで戻ります。 この日の乗客も前回乗った 時と同じで立っている人が 数人程度。 |
吉備真備駅に戻ってきました。 出発からは9時間が 経過してました。 |