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西国街道(旧山陽道) その14
五日市〜新岩国(中編)






大野浦の駅前をすぎ、
街中を抜けていくと、
太い道に合流します。

ここは左前方の
やや登りの道へ。








道は右にカーブし、その先
ここで左に入ります。















ここに案内板がありました。 この舗装の下には当時の
石畳道が保存されている
そうです。

案内板には「仮舗装」と
ありましたが、「本舗装」に
なったら、どのようになる
のでしょうか。








登り坂を振り返ると、
対岸にかの有名な宮島が
見えます。













先程の石畳の舗装道を
登っていくと、
また太い道にぶつかります。

正面に小さな案内板の
ようなものが見えますが‥









案内板の左の道を入ります。

案内板はかなり劣化していて
読みにくい。
というより、ほとんど
読めません。









当時の石畳が残っている
部分がありました。
ホンの少しですが。











農道のような道を歩きます。
















すると高速道の高架に
あたるので、この高架を
くぐらずに高架沿いの道を
歩きます。











宮浜温泉 海望の源泉地。

もともとあった源泉の湯量が
少なくなってきたので、
平成5年に新たに掘り当てた
ものだそう。











この辺りから案内板が
整備されています。














宮浜の源泉地から3〜4分で
ご覧のような所に出ます。

ここで高架をくぐり四十八坂と
呼ばれる道を行き、
残念さんへ向かいます。

ここから先、しばらくは
旧道の雰囲気満載の道を
歩いていきます。







こんな案内板があるので、
すぐわかるハズ。















二股になりました。
真ん中に案内板がありました
が、塗装がはげ落ち、
ほとんど読めません。
残った塗装をじっと見ると、
どうも左っぽい。
基本登っていくことになる
ので、登りの右のような気も
しますが、とりあえず左側へ。





正解でした。

この青い案内板はいくつか
途中にありました。

助かります。













いい感じですね。
















残念さんに到着。案内板に
よると、慶応2年(1866)、
四十八坂を単騎で西方へ
馳やる幕府軍の武士がいた。
これを見た長州軍は戦闘員
だと勘違いし狙撃。武士は
「残念」といって倒れた。
その武士は丹後宮津藩士の
依田伴蔵で、軍使として
長州軍営に赴く途中であった
ことがわかり、長州軍は
遺憾の意を表した。
残念社は、村人が伴蔵の
戦死を悼んで祀ったもの
だそう。


残念さんの先には
吉田松陰の腰掛石。

松陰が江戸に護送される時、
この岩に腰かけたとか。











案内板が出ているのは
有難いのですが、
この「区民ふれあい道路」と
いうのが曲者。
ふれあい道路に行くと
間違いになります。

ふれあい道路に(西国街道)
の文字が付いたものは正しい
道案内。ちょっとややこしい。

なので、ここもふれあい道路
の方には曲がらず直進。



やがて八坂墓苑の前に
出てきます。

墓苑の前を左に曲がり、
あとは道なりに進みます。












道なりに歩いていくと、
高速をくぐる感じになります
が、ここはくぐらずに右折し、
高速沿いに歩きます。











一番高い所では、高速の先に
宮島がきれいに見えました。

ちょっと振り返る感じです。














宮島の逆方向を見ると
大竹付近のコンビナートが
よく見えます。

なんとも対照的な景色です。











その後、高速沿いを下って
いき、道なりに高速を
くぐります。

道は南向きになり、
左手の鳴川幼稚園を
すぎると、道は再び
南西方向に向きます。

住宅街の中を歩きますが、
ここは直進。






ここの二股は左側(直進)へ。















すぐ石畳の道が現れました。
いい感じですね。

この先は鉾ノ峠。
ちなみに「たおのとうげ」と
読みます。












しばらくはこんな感じの道を
歩きます。
やはり舗装道よりはこっちの
こうがいいですね。
膝にもやさしいし。









JRのトンネルの出口の
上を越えていきます。
かなり細い道なので、
落ちないようちゃんと
フェンスがありました。











ただ、トンネルを越えてから
少し線路に平行して歩く
のですが、こちらはフェンス
なし。
ここは要注意。
落ちると新聞に載るのは
間違いありません。







すぐに住宅街の中へ。
















道なりに歩いていくと、
国道2号線に出ます。

目の前は海。
一気に潮の香りが
してきました。








国道でなく、玖波隧道を
抜けていきます。

トンネルが抜けるまでは、
あの高い崖を登っていた
のでしょうか?










隧道を抜け、玖波の街に
入りました。

ここも昔は本陣等があった
そうですが、特になにも
案内板などはありません
でした。







ここの交差点を右折。
















ガードを越えて線路の
北側に出ます。












恵川を川木橋で渡ります。

渡ったらすぐ川沿いに左折し
向田橋のたもとを右折。













ここから登りになり、
高速道の手前に平行して
走る道まで行きます。
写真正面に見えているのは
病院と老健施設。








高速の南側にある道を
歩いていきます。















やがて太い道に合流。















この交差点で左折。

交差点の左角には酒屋さん。














久しぶりに踏切に
引っかかりました。

踏切を越えてから、
国道2号線の手前の
道を右折し、小方の街に
入ります。







小方の街に入りました。














大きなショッピングセンター
がありましたので、
食糧調達のため寄り道。











街道に戻る途中、こんな
石碑が。

亀居城は慶長8年(1603)
から5年の歳月をかけ
築城されたもの。
十万平米の規模の城だった
そうです。

ところが幕府の圧力により
完成間もない慶長16年に
取り壊しになったそう。

なんともったいない‥



この辺りでは取り壊された
住宅跡がかなりありました。
ここの少し先、三井化学の
大きな社宅もありましたが、
使用されていませんでした。









ここでJRのガードを
くぐります。







高速道の手前で新町川を
渡ったあと、右折し
高速道をくぐります。

くぐったらすぐ左折し、
苦の坂を目指します。






ダラダラとした登り坂を
登っていくと、
やがて右手に橋姫神社。
もとは別の場所にあった
のですが、山陽自動車道の
建設に伴い、ここに遷座
されてきたそうです。






どんどん登って行きます。

すると‥











この看板の左に見える
階段から苦の坂に向かう
のですが、全面通行止。








舗装道も土砂崩れで通行止。
私よりも先に歩かれた方のHPなどを見ていると、通行不可という方がほとんど。
西国街道の場合、熊野古道と違って通しで歩かれている方の絶対数が少ないため、
直近の情報をなかなか見つけることができませんでした。
ネットで探しに探してようやく昨年の11月に通った、という情報を見つけ、それを信じてきてみました。

ここまで来て、やはりダメで迂回するとなると、相当のタイムロスになってしまうのですが、
橋姫神社の手前の民家で、犬を散歩させている方がいらっしゃったので、「苦の坂は通れますかね?」
と訊ねてみました。「かなり荒れているけど、歩きなら通れるよ」とのことでした。

実は通れるか不安だったので、2月の頭に通ることができるか大竹市にメールで
通行できるかどうか問い合わせをしたのですが、残念ながら返信なし。
しかし、ここを歩いた翌日に、「通れます」との返信が。なんともタイミング悪い‥





ご覧のような足場階段が
設置されていて、通行できる
ようになってました。











仮設の階段を登ると、一気に
古道へタイムスリップ。














竹林の気持ちのいい道を
登っていきます。













郵便局のマーク。

コンクリート製の小さな
祠程度の建物ですが、
何に使っていたものなの
でしょうね??











仮設階段のところから
5〜6分で苦の坂の峠に到着。

安政の大獄で囚われの身に
なった吉田松陰も、
安政6年(1859)五月、
この峠を越えて江戸へ
送られたそうな。








峠の先は下りになります。
















大きめの石がゴロゴロと
転がっていて歩きにくい。












倒木がある場合、くぐるか、
乗り越えるか、ですが、
これぐらい低い位置にあれば
短い私の足でも乗り越える
ことができます。(笑












峠から10分ほど下って
くると、小瀬川が見えてきて
麓まで降りてきました。












降りたところ、左手には
ちきり池神社。















苦の坂の案内もありました。
慶応二年(1866)の幕府軍と
長州軍との戦いの様子が
詳しく書かれています。










しばらくの間は小瀬川沿いの
国道186号線を南下して
いきます。












左手には大元神社。















小瀬川は山口県サイドの
呼び名で、広島県サイドから
は木野川と呼ぶそうです。

ちなみに、国が定めた名称は
小瀬川。










来てみるまでは通れるかどうかかなり不安だった苦の坂でしたが、特に問題はなし。
相生の西にあった有年峠もそうでしたが、全体的に整備される状況になっているのでしょうか。
歩く方からすればとても有難い。



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