遠くに見える両国橋。 その橋を渡るのですが、 そのまま直進し、 木野川渡し場跡へ 寄ってみました。 |
両国橋から300mほどで 渡し場跡に到着。 当時、木野村(広島側)と 小瀬村(山口側)から 出された「渡し守」が 二人一組で交替して渡しを 行ったそうな。 渡し賃は江戸初期は米一合、 中期ごろからは二文。 ただ、武士階級は無料 だったそうな‥ |
川に近づいてみると、水量も 少なく、ジャブキャブ歩いて 渡れないこともないぐらい ですが、ここは大人の 対応で自粛。 この渡し場にはいろんな 案内板などがあり、 よく整備されています。 |
両国橋まで戻り、小瀬川を 渡ります。 ついに山口県に突入です。 最終目的地と同じ県まで やってきました。 とはいえ、まだまだですが。 |
小瀬川の渡し場の対岸辺り。 こちら側には案内板など なにもありませんでした。 |
小瀬川沿いに南下。右手の 国交省の建物をすぎ、 ここを右折。 |
この角に吉田松陰の歌碑と、 旧山陽道の案内板。 「夢路にも かえらぬ関を 打ち越えて 今をかぎりと 渡る小瀬川」と刻まれて います。 安政6年(1859)、幕府の 召還を受けた吉田松陰が 籠で護送されながら小瀬川に 差しかかり防長二州と最後の 別れをする時に詠んだ歌。 その後、彼は江戸で処刑 されますが、 享年なんと30歳。 |
集落を抜けていきます。 ここからはしばらく登り坂。 |
店口川沿いの舗装道を 登っていきます。 途中、ヘアピンカーブが 2つ続きますが、1つ目の カーブの頂点のところで 旧道に入ります。 写真のガードレールの右端に 見える白い棒がその案内板。 |
ここも竹林の気持ちいい道。 ただ少し勾配がきつく、 疲れた体には堪えます。 |
5〜6分ほどで先程の 舗装道に合流。 |
反対側、つまり下関方面から 京都へ向けて歩くと、 案内がなくわかりにくいかも しれません。 写真は振り返って見たところ。 |
再び舗装道を登っていきます。 |
峠の手前、右側にまた白い 案内柱があるので、 ここも旧道へ入っていきます。 |
ここも勾配がきつく、 急な登りが続きます。 |
ここの二股は左の 下りの方へ。 ということはこの辺りが 峠、ということですかね? 案内板などはありません でした。 |
旧道に入ってから10分弱で 三度舗装道と合流します。 |
舗装道に合流してからは 下りの一本道。 |
ようやく民家が見えて きました。 左手に見える高架道路は 関関バイパス。 |
関戸宿に入り 本陣跡の案内板。 横には吉田松陰の東遊記念 碑もありました。 やはり山口では人気ですね。 |
古いたたずまいを所々残す 関戸の街。 |
やがて国道2号線に合流。 交通量が多いので、 広い歩道はありがたい。 |
国道の案内板にも下関の 文字が現れました。 151km。 車で高速に乗れば2時間も かからない距離です。 |
国道をしばらく歩いていると 左手に岩国コンクリートの 工場があります。 |
コンクリート工場の正面、 歩いてきて右側の金網に 「旧山陽道 岩国往来」の 案内板。 左側の赤い矢印が左斜めに なっています。 金網と左側のコンクリート 壁の隙間をのぞいてみると‥ |
奥にも「旧山陽道 岩国往来」 の案内板が見えます。 ということは、ここを入れ、 ということでしょうか?? 狭い隙間に無理矢理体を ねじ込み、コンクリート壁の 裏側を沿うように10mほど 歩くと‥ |
1本のロープが現れました。 ロープには握りやすいように 等間隔で結び目が作って あります。 ロープを使って登れ、 ということでしょうか?? |
とてもじゃないですが、 ロープなしでは登れません。 坂というより崖ですな。 |
距離にすれば数十mなの ですが、かなりキツイ。 上が見えてきたところで、 余裕かましてこんな写真を 撮ってみました。(笑 |
ロープで登りきるった所に、 「旧山陽道 岩国往来」の 案内板があったので、 やはりこれで正解のよう。 でも、こんな崖みたいな道、 当時の籠や馬はどうしたん でしょうね? それとも2号線を作るときに 山肌を削ったので こんなに急な斜面になって しまったんでしょうか。 |
ロープで登った先は 普通の旧道でした。 |
少し行くと忠魂碑が ありました。 この辺りは案内板がキッチリ 整備されていますので、 それに従い進んでいきます。 |
忠魂碑から下る階段の途中、 右に入り旧道を歩きます。 |
下りきると2号線に合流。 合流したところの反対側には 多田の一里塚跡。 しばらく2号線を歩きます。 |
国道沿いの石材店の店先に こんなものが。 石材店には、いろんな物が よく置いてありますが、 恐竜は珍しい。 |
錦川の手前、国道は右に 曲がりますがこのまま直進。 |
ただし横断歩道がないので、 交差点右にある歩道橋を 使って交差点を渡ります。 |
錦川を御庄大橋で渡ります。 |
渡ったら川沿いに北上。 |
川沿いに北上してくると、 やがて新幹線の高架に あたりますので、高架を くぐらずに左折し、 高架と平行に歩きます。 その後突き当りを右折して 高架をくぐります。 |
御庄の街に入りました。 |
右手に蓮乗寺。 |
ここが本陣跡のようですが、 案内などはなし。 |
少し離れた所に見える 新岩国駅を回り込むように 歩いていきます。 写真のガードは錦川鉄道の ガード。 |
ガードを越えてすぐ、 左手には御庄小学校。 |
ここの交差点で終了。 街道はまっすぐですが、 左に曲がり新岩国の駅へ。 |
無人駅だったので、 錦川鉄道の御庄駅に 入ってみました。 タイミングが合わず、電車を 見ることができなかったのは 残念。 時間帯によっては1時間に 1本もありませんので、 タイミングが合う方が 珍しいのですが。 |
駅の待合室は古くなった 車両が使われていました。 こりゃいいアイディア。 |
新岩国駅前。 |
新幹線で広島まで戻ります。 新幹線は一区間だけだと、 特急料金が安く設定されて いるので助かります。 |
五日市から新岩国まで 歩いて9時間。 一方、新幹線だと新岩国〜 広島間で乗っている時間は 16分。 ゆっくりと休む間も ありません。 |
こだまの車内はガラガラ でした。 |