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西国街道(旧山陽道) その14
五日市〜新岩国(後編)






遠くに見える両国橋。
その橋を渡るのですが、
そのまま直進し、
木野川渡し場跡へ
寄ってみました。









両国橋から300mほどで
渡し場跡に到着。

当時、木野村(広島側)と
小瀬村(山口側)から
出された「渡し守」が
二人一組で交替して渡しを
行ったそうな。
渡し賃は江戸初期は米一合、
中期ごろからは二文。
ただ、武士階級は無料
だったそうな‥




川に近づいてみると、水量も
少なく、ジャブキャブ歩いて
渡れないこともないぐらい
ですが、ここは大人の
対応で自粛。

この渡し場にはいろんな
案内板などがあり、
よく整備されています。





両国橋まで戻り、小瀬川を
渡ります。

ついに山口県に突入です。

最終目的地と同じ県まで
やってきました。

とはいえ、まだまだですが。






小瀬川の渡し場の対岸辺り。

こちら側には案内板など
なにもありませんでした。












小瀬川沿いに南下。右手の
国交省の建物をすぎ、
ここを右折。













この角に吉田松陰の歌碑と、
旧山陽道の案内板。

「夢路にも かえらぬ関を
打ち越えて 今をかぎりと
渡る小瀬川」と刻まれて
います。
安政6年(1859)、幕府の
召還を受けた吉田松陰が
籠で護送されながら小瀬川に
差しかかり防長二州と最後の
別れをする時に詠んだ歌。
その後、彼は江戸で処刑
されますが、
享年なんと30歳。

集落を抜けていきます。

ここからはしばらく登り坂。














店口川沿いの舗装道を
登っていきます。
途中、ヘアピンカーブが
2つ続きますが、1つ目の
カーブの頂点のところで
旧道に入ります。

写真のガードレールの右端に
見える白い棒がその案内板。




ここも竹林の気持ちいい道。

ただ少し勾配がきつく、
疲れた体には堪えます。











5〜6分ほどで先程の
舗装道に合流。













反対側、つまり下関方面から
京都へ向けて歩くと、
案内がなくわかりにくいかも
しれません。

写真は振り返って見たところ。








再び舗装道を登っていきます。













峠の手前、右側にまた白い
案内柱があるので、
ここも旧道へ入っていきます。












ここも勾配がきつく、
急な登りが続きます。













ここの二股は左の
下りの方へ。

ということはこの辺りが
峠、ということですかね?

案内板などはありません
でした。









旧道に入ってから10分弱で
三度舗装道と合流します。













舗装道に合流してからは
下りの一本道。
















ようやく民家が見えて
きました。

左手に見える高架道路は
関関バイパス。











関戸宿に入り
本陣跡の案内板。

横には吉田松陰の東遊記念
碑もありました。
やはり山口では人気ですね。









古いたたずまいを所々残す
関戸の街。














やがて国道2号線に合流。

交通量が多いので、
広い歩道はありがたい。













国道の案内板にも下関の
文字が現れました。

151km。
車で高速に乗れば2時間も
かからない距離です。










国道をしばらく歩いていると
左手に岩国コンクリートの
工場があります。













コンクリート工場の正面、
歩いてきて右側の金網に
「旧山陽道 岩国往来」の
案内板。
左側の赤い矢印が左斜めに
なっています。

金網と左側のコンクリート
壁の隙間をのぞいてみると‥






奥にも「旧山陽道 岩国往来」
の案内板が見えます。
ということは、ここを入れ、
ということでしょうか??

狭い隙間に無理矢理体を
ねじ込み、コンクリート壁の
裏側を沿うように10mほど
歩くと‥







1本のロープが現れました。
ロープには握りやすいように
等間隔で結び目が作って
あります。

ロープを使って登れ、
ということでしょうか??






とてもじゃないですが、
ロープなしでは登れません。

坂というより崖ですな。











距離にすれば数十mなの
ですが、かなりキツイ。

上が見えてきたところで、
余裕かましてこんな写真を
撮ってみました。(笑











ロープで登りきるった所に、
「旧山陽道 岩国往来」の
案内板があったので、
やはりこれで正解のよう。

でも、こんな崖みたいな道、
当時の籠や馬はどうしたん
でしょうね?
それとも2号線を作るときに
山肌を削ったので
こんなに急な斜面になって
しまったんでしょうか。



ロープで登った先は
普通の旧道でした。












少し行くと忠魂碑が
ありました。

この辺りは案内板がキッチリ
整備されていますので、
それに従い進んでいきます。










忠魂碑から下る階段の途中、
右に入り旧道を歩きます。














下りきると2号線に合流。

合流したところの反対側には
多田の一里塚跡。

しばらく2号線を歩きます。










国道沿いの石材店の店先に
こんなものが。

石材店には、いろんな物が
よく置いてありますが、
恐竜は珍しい。










錦川の手前、国道は右に
曲がりますがこのまま直進。














ただし横断歩道がないので、
交差点右にある歩道橋を
使って交差点を渡ります。












錦川を御庄大橋で渡ります。
















渡ったら川沿いに北上。















川沿いに北上してくると、
やがて新幹線の高架に
あたりますので、高架を
くぐらずに左折し、
高架と平行に歩きます。

その後突き当りを右折して
高架をくぐります。






御庄の街に入りました。















右手に蓮乗寺。
















ここが本陣跡のようですが、
案内などはなし。














少し離れた所に見える
新岩国駅を回り込むように
歩いていきます。

写真のガードは錦川鉄道の
ガード。









ガードを越えてすぐ、
左手には御庄小学校。














ここの交差点で終了。

街道はまっすぐですが、
左に曲がり新岩国の駅へ。













無人駅だったので、
錦川鉄道の御庄駅に
入ってみました。

タイミングが合わず、電車を
見ることができなかったのは
残念。

時間帯によっては1時間に
1本もありませんので、
タイミングが合う方が
珍しいのですが。



駅の待合室は古くなった
車両が使われていました。

こりゃいいアイディア。













新岩国駅前。















新幹線で広島まで戻ります。

新幹線は一区間だけだと、
特急料金が安く設定されて
いるので助かります。









五日市から新岩国まで
歩いて9時間。

一方、新幹線だと新岩国〜
広島間で乗っている時間は
16分。

ゆっくりと休む間も
ありません。




こだまの車内はガラガラ
でした。

















JR五日市駅から新幹線の新岩国駅まで。約39kmを9時間ちょっと、54900歩でした。
峠越えが多かったのと、昼食購入で少し寄り道したので、いつもより時間がかかってしまいました。
この区間は峠ありーの、昔の雰囲気の街並みありーの、と、なかなか楽しめた区間でした。
山口県に入り、ゴールも見えてきました。あと4回ぐらいで終了かな‥



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