西国街道(旧山陽道) その15
新岩国〜徳山(後編)






ここの二股は登りの右側へ。

だんだん疲れてくると、
登りでない方を選びたく
なってきます。











小さな祠と石燈籠が
ありました。

石燈籠の後、遠くの方に
ショッピングセンター群が
見えました。

なんか燈籠とは違和感‥








久保中学校前の交差点。

そのまま直進します。













どんどん道なりに歩いて
いきます。基本的には直進。

ここの二股の左の方向へ。












その後、一度2号線と
合流します。







すぐ、ここで左の側道へ。

この先、生野屋の集落に
入ります。
ここまでで6時間45分ほど。











生野屋の街を
抜けていきます。













左手の空き地の中には
常夜燈。














下松市生野屋の交差点で
2号線にあたります。

トンネルがあるので、
それで2号線を渡ります。











トンネルの歩道を出て、
山陽新幹線、岩徳線と
続けて越えます。

この岩徳線の踏切を渡って
すぐ左折。









道なりに西へ歩きます。

雨はまだやむ気配はない
どころか、強くなってきた
ような気も。







右手には教応寺。
立派な釣鐘もありました。













左に薬局のあるこの二股は
直進(右)方向へ。














花岡宿に入りました。
昔の雰囲気を残す
建物も見られます。










しばらくいくと、右手に
花岡ふるさと花壇があり、
その奥は花岡勘場跡。

案内板によると、萩本藩の
役所があったところで、
本陣もあったそうな。






金分銅という醸造元。
















花岡八幡宮。
本殿は奥の階段を登った所。

写真の上の方に瓦が見える
でしょうか?

その瓦が山門と思われます。










その後、左にある周防花岡
駅への道をすぎると、
県道41号にあたります。

このまま横断し直進。












次に新幹線のガードを
くぐります。













末武川に出ました。
しばらく川沿いを歩きます。

この先桜並木がありました。
桜の季節は綺麗でしょうね。











国道2号線をガードでくぐり、
和田橋で末武川を渡ります。













道なりに歩いていき、
この二股は左へ。

なお、この二股から右へ
30mほど行くと石橋があり、
旧山陽道はこの石橋を渡り、
写真前方の丘の上に登って
いく3曲がりの坂道だった
との事。
現在は、廃道になっている
そうです。

このサイトをご覧いただいた
地元ご出身の岡田様より
ご教示いただきました。


そしてその先すぐの二股は
右(登り方面)へ。

この道は見上ケ坂と云い、
明治20年につくられた
ものだそう。
これも岡田様より教えて
いただきました。
ありがとうございました。



登り坂を登っていくと
左手には順正寺。














西光寺川を渡り少しすると
この交差点。ここは右へ。

曲がると防長鶴山縣本店。
造り酒屋さんです。










左手には冷たいビールと
うまい焼肉、右手には
ヒレカツ、ロースカツと
疲れている時にはなんとも
たまらない中を抜けて
いきます。









このあと桜木の交差点で
一度県道347号線に出ます。

ここでやめてJR櫛ヶ浜駅に
向かう手もあったのですが、
ここまでくれば徳山駅は
もう少しなので進むことに。








県道に合流してすぐ、
右斜めに入る道があるので、
そこに入っていきます。

道は登っていく感じ。










右手にある病院をすぎた先は下り坂。この坂の名前が早乙女坂。

昔、街道を通る旅人と地元民とにかかわる風習の違いから哀しい事件が起きました。
当時は、田植えの時期、側を通行する人に「早苗(さなえ)打ち」といって、稲の苗を投げつけ、
ご祝儀をいただくといった風習があったそうな。ある日(年代不詳)、九州からの飛脚が
通りかかった時、早乙女の一人が手に持っていた早苗を投げつけたところ、飛脚は無礼と激怒。
早乙女を刺し殺してその場を去ってしまったそうな。
近所の人が殺された早乙女を哀れみ、ここに塚を建て、松を植えて供養したのだとか。

風習の違いとはいえ、いきなり刺さなくても‥







県道の手前、この二股は
右側へ。














すぐ県道347号に合流。
















ですが、すぐ右斜めの
側道に入ります。














右手には遠石八幡宮。

この辺りは八幡宮の
門前町として、また
山陽道の宿場町として
栄えたそうです。








古い建物も残っています。















梅花川を渡りしばらく行くと
右手には影向石。

宇佐八幡大神が新馬に乗って
またがりこの岩に降りたった。
その時の神馬の蹄跡が岩に
残っているそうな。











さらに行くと右手に宝性寺が
あり、正面に「出雲国いつ
ばたやくしかんじょうの地」と
書かれた石柱が。
この石柱の右側の細い登りの
道に入ります。

昔、坂の上に一畑薬師堂が
建てられており、この狭い
坂道を念仏を唱えながら
昇り下りしたので、この坂道は
念仏坂と呼ばれていたそう。

またここには一里塚跡の
案内もありました。

細い念仏坂を越えると、
再び県道に合流。















この先、県道から左に
分かれるので、前に見える
歩道橋で県道の左側へ。










左側にきて右側をふと見ると、
「最強濃厚とんこつ
醤油らーめん」の文字。

しまった。(笑












出光のガソリンスタンドの
先を左斜めの道へ。
ただ、このGSは閉鎖されて
いましたので、そのうち
なくなり目印にはならない
かもしれません。





駅前に続くまっすぐな道を
歩いていきます。















孝女阿米の像。

12歳から31年間、病の
父親を看病しつづけたそう。










東川を渡ります。















徳山の中心地に
入ってきました。

正面に見える商店街へ
入っていきます。










商店街はアーケードがあり、
ようやく傘を手放すことが
できました。









JR徳山駅に到着。















こだまで一駅、新岩国まで
戻ります。この日は500系。

この500系が登場したとき、
新幹線の形もここまできたか、
と思ったものです。
ただ久しぶりに乗ってみると、
やはり車内が狭い。
車体が円形になっているので、
構造上仕方ないのですが‥




やはり狭いですね。

快適性も求められる時代
なので、こだまのみに格下げ
も仕方ないのかもしれません。







新岩国駅に到着。

ここからは車で帰ります。
















JR新岩国駅から徳山駅まで。約44km、9時間弱で61100歩でした。
いつもより少しペースが遅いですが、半分以上雨だったので仕方ありません。
歩き始めが7時頃。到着が4時前。雨が降り出したのが10時ごろだったので、
2/3は雨に降られた計算になります。まあ、たまには雨の歩きもいいか。
残りは115kmほど。回数にすればあと3回の計算。



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