玉祖神社の前、この二股は 右方向へ。 |
道なりにいくとまた二股が
現れますので、ここも右。 |
玉祖幼稚園、玉祖保育園前を 通りすぎ、またまた二股。 今度は左。 |
玉祖神社の大きな常夜燈が ありました。 笠の部分の横の石が立派。 |
その先、佐野の一里塚。 そういえば、長い間 一里塚碑は見ていなかった ような‥ |
しばらく行くと右手に池が 見えてきます。 ここは池を回り込むように 歩きます。 2つのガードレールの間を 歩く感じです。 |
池の畔には 「旧山陽道 岩淵←→佐野」と 書かれた案内板もあり。 |
池を回り込み、ここから 左手の山道に入ります。 |
いい雰囲気の道になりました。 要所には丸太の階段もあり、 キッチリ整備されています。 防府ロータリークラブの方々が 整備されたようです。 助かりますね。 ありがとうございました。 |
少し急な登りですが、 実際に歩いている時間は 5〜6分ぐらいです。 |
登りきったところは 広場というか展望台の ようになっています。 天気が良ければ九州の 国東半島まで見える そうです。 |
そこには籠立場と 書いてありました。 見晴らしがいいことから、 ここで籠を降ろして 大名たちが休憩したところ だそうです。 先程の浮野峠を降りてきた 所にも籠立場がありました。 籠を担ぐ方も休憩しなけりゃ もたないでしょうしね。 |
籠立場の南側、下る舗装道が あります。こちらの道は誤り。 途中まで下ってしまい、 おかしいと気が付き 戻りました。 |
正しい道は籠立場の北側に ある貯水施設の方に 歩いていきます。 よく見れば、防府RCの 方が作られた看板が ちゃんとあった‥ |
貯水施設を回り込むように 道が続きます。 |
また地道になりました。 山陽道の佐渡川SAを 回り込むように山道は 続きます。 |
ところどころぬかるんで いましたが、 丸太が渡してありました。 助かります。 |
籠立場から15分ほどで 舗装道に合流。 |
山陽自動車道が見えて きますので、 高架をくぐります。 |
高架の先すぐ二股に。 ここは右へ。 |
しばらく歩くと右手に 周防三孝女 石川於石の碑。 パッと見たとき、何故か 「石川於石」が「石川啄木」に 見えてしまいました。 |
国道2号線にあたる手前、 横曽根川は道がゴチャッと しています。 国道2号線の向こうに渡る 必要があります。 簡単なのは2号線を直接 横断することですが、 信号や横断歩道はなく、 またパトカーがずっと 待機していました。 仕方なくトンネルを探して 2号線の向こう側へ。 |
2号線の向こう側に出ると こんな感じの道。 この木の左側にある道に 出たいのですが出口が ありません。 無理矢理木の隙間に体を ねじ込んで本来の道に。 |
出たかった道はこんな感じ。 この先、左斜めに伸びる 細い道がありますので、 そこを入ります。 |
細い道が県道25号線に あたります。 そこの角には山口道と 書かれた道標。 |
大東の集落を抜けていきます。 |
山口道の道標から10分程で 国道2号線に合流。 |
国道2号線を少しいって ここから左の側道へ。 |
側道に入ってもすぐ2号線に 戻りますが、今度は反対側の 右斜めの側道へ。 車はガンガンくるのですが、 信号や横断歩道はないので ご注意を。 |
2つ目の側道に入ってすぐ 右手には津山神社。 |
また2号線に合流。 合流する直前ぐらいから 長沢池が見えてきます。 |
長沢池沿いの2号線を歩き、 コスモ石油の手前を左折。 |
またまた二股。ここは右へ。 なんか二股が多いような 気がしますね‥ |
その後山陽本線の踏切を 渡ります。 |
また出た。(笑 ここは右。 その後踏切を渡ります。 |
道端には小さなお地蔵さん。 |
2号線に戻りました。 ここは左折。 |
今宿東の交差点の手前、 国道は右へカーブしますが、 まっすぐに伸びる旧の国道が あるのでそちら方向へ。 |
さらに分岐が続きます。 ここは左側の細い道へ。 |
まっすぐ歩いていくと、 県道194号線の高架橋の ところで道は右に曲がります。 写真の左に見える公園の先を 左に曲がると‥ |
正面に歩道橋が見えます。 この歩道橋の左側が JR四辻駅。 この日の予定はこれで終了。 |
改札は南側にしかないので、 地下道をくぐり反対側に 出ます。 |
四辻駅。 無人駅でした。 |
駅にあった時刻表。 ところどころテープで隠して あるのがわかるでしょうか。 この時は大震災の影響で、 JR西日本も間引き運転中 でした。 |
東日本大震災では東北・関東地方を中心に鉄道にも大きな影響を与えました。 直接的な被害がなかった西日本ですが、大震災の余波を受け、JR西日本でも運転本数の削減や 特急列車の編成両数短縮や、臨時列車の運転取り止めをなどが行われました。 直流電動機ブラシという消耗品を作る工場が被災し、部品が手に入りにくくなったというもの。 また運悪く、この部品が一社寡占状態だったため、他からの調達が困難だったようです。 この間引き運転は2011年4月2日から行われたのですが、関係各社の努力により 4月7日で終了し、8日からは通常ダイヤに戻りました。 6日間だけでしたが、ちょうどその6日にあたってしまいまいました。 ただ、間引き運転は事前にわかっていたので、慌てることはありませんでした。 |
四辻駅のホーム。 |
駅に到着して5分ほどで 列車がきました。 山陽本線で車を停めてある 徳山駅まで戻ります。 |