この日は三宮から須磨まで。 三宮神社。慶応4年、ここの 前で神戸事件が起きました。 備前藩の隊列がここを東に 向かって歩いているとき、 沖に停泊していた外国軍艦の 水兵数人が隊列の前を横切っ たそうな。怒った備前藩の 人は水兵を切りつけ、国際 問題になってしまい、日本 人が切腹させられたもの。 今は買い物客で賑わう場所 ですが、昔はこんな生臭い 事件もありました。 |
神戸大丸の北側を通り、 元町商店街へ入って いきます。 |
元町商店街は1丁目から 6丁目まであり、 かなり長い商店街。 大阪の天神橋筋商店街ほど ではありませんが‥ |
走水神社。 「はしうど」と読みます 祭神は天照大神、応神天皇、 菅原道真。 案内板によると、「走水」と いう珍しい地名由来は、 この辺りの坂が急で大雨が 降ると再度山からの水が勢い よく流れるからとも、 古代氏族「間人(はしうど)」 が住んでいたからともされる。 だそうです。 |
元町の商店街を抜けました。 商店街は距離にすると 約1.2km。 |
商店街を抜けると JR神戸駅前。 ここに兵庫県の里程元標が あります。 神戸から各地までの距離を 測る起点になるもの。 |
JR神戸駅前。 JR東海道本線は東京から ここまで。ここから西は 山陽本線になります。 |
新開地に入ると こんな道標が。 |
新開地は戦前から昭和30年 代半ばまでの神戸の歓楽街 で、多くの映画館や飲食店で 賑わっており、福原遊郭も あったところ。 新開地の名前の由来は、 兵庫地区と元町地区を分断 していた湊川を付け替えた 際に埋め立てて新しく できた土地だから。 |
新開地から南に向かって 歩き、JRの高架を過ぎた ところにある八幡神社の 前には湊口惣門跡が。 昔の兵庫の街に入る際、 ここの番所を通る必要が あったようです。 当時、神戸の港といえば 兵庫津。その港を守る 必要があったのでしょう。 |
八幡神社から南へ下り、 国道2号線を越えます。 ただ、2号線には横断歩道が ありませんので迂回が必要。 この歩き方だと、左手の 信号の方が近いかな。 |
岡方惣會所跡。 徳川時代、兵庫津の行政 機関は岡方、南濱、北濱の 3つに分けられていました。 そのうちの濱に面しない 岡方の惣會所がここに あったそうです。 |
さらに南下すると札場の辻跡。 ここ南仲町は兵庫の中心地に あたり、大きな高札場が あったそうです。 左の道標は半分埋没して しまっています。 ここを右折し、北西方向へ 歩いていきます。 |
再び2号線を横切り、 国道の北側へ出ます。 今度は横断歩道あり。 |
JR兵庫駅の手前、 柳原えびす神社の所には 西惣門跡。 |
JRの高架をくぐり、 兵庫駅の北側に出ます。 |
兵庫駅を背にして左斜めへ 延びるこの広い道を歩いて 行きます。 |
すぐに国道28号線と合流。 国道はこの先で右へ曲がり ますが、西国街道は直進。 ここから須磨の手前までは ひたすらまっすぐ進んで 行きます。 |
国道28号線からすぐ県道 21号線になりますが、 この県道はほんとうに まっすぐな道。 新湊川を越えると、 北側には長田神社。 |
山陽電車の西代駅。 この辺りはまだ電車は 地下を走っています。 |
須磨警察署の前。 ここを通り過ぎると すぐ妙法寺川があり、 それも越えていきます。 |
この高架道路は阪神高速。 県道21号線はここで右に 行きますが、このまま直進 し、阪神高速をくぐって いきます。 |
山陽電車月見山駅前。 阪神大震災以前はこの先は 行き止まりでしたが、 きれいに整備されました。 |
その都市計画道路の 完成記念碑。 完成が2008年なので、 随分時間がかかってしまい ましたね。 |
この碑は幕末の北海道探検家・松浦武四郎が菅原道真ゆかりの天神社や遺跡を二十五カ所選定して各地に 建立したもののひとつ。碑は二十五カ所のうちの第十四番、綱敷天満宮への案内標識だそう。 この「菅公聖蹟二十五拝」と呼ばれるものを1番から順に挙げてみると‥ 菅原院天満宮(京都・上京区)、錦天満宮(京都・中京区)、菅大臣神社(京都・下京区)、 吉祥院天満宮(京都・南区)、長岡天満宮(京都・長岡京市)、与喜天満神社(奈良・桜井市)、 威徳天満宮(奈良・吉野)、道明寺天満宮(大阪・藤井寺市)、佐太天神宮(大阪・守口市)、 大阪天満宮(大阪・北区)、露天神社(大阪・北区)、福島天満宮(大阪・福島区)、天満神社(兵庫・尼崎市)、 綱敷天満宮(兵庫・須磨区)、天神社(兵庫・明石市)、曽根天満宮(兵庫・高砂市)、 大塩天満宮(兵庫・姫路市)、瀧宮天満宮(香川・綾部郡)、御袖天満宮(広島・尾道市)、 厳島神社天神社(広島・佐伯郡)、防府天満宮(山口・防府市)、綱敷天満宮(福岡・博多区)、 太宰府天満宮(福岡・太宰府市)、上宮天満宮(大阪・高槻市)、北野天満宮(京都・上京区)。 道真フリークの私ですので、この25社は全部参拝済です。 |
須磨寺駅の手前、幹線道路の 北側には菅の井公園。 延喜元年、菅原道真が大宰府 に船で流される途中、風雨が 強くなったため、須磨で一時 避難。その際西須磨の旧家で ある前田家の人が井戸の水を 汲んで差し上げたところ、 道真は大いに喜び自画像を 前田家に与えたそうな。 そのことからその井戸を 「菅の井」と呼んだとのこと。 |
菅の井公園の先の右手の 細い道に入り、山陽電車の 須磨寺駅前へ。 |
須磨寺の駅前から少し行くと 国道2号線に合流します。 |
ほどなく山陽須磨駅に到着。 |