西国街道(旧山陽道) その6
土山〜相生(前編)






西国街道をさらに西へ
向かいます。

前回終了地のJR土山駅を
朝の6時頃にスタート。
自宅から電車で来るとなると、
一番早くてこの時間。








しばらく歩いて行き、
JRの踏切を越えます。

貨物列車の通過待ちで
時間がかかりました。












五社大神社。

境内の入口が締まっており、
中には入れませんでした。












霊光山長松寺。

本当にこの辺りは社寺が
多くあります。

歩いていると
5分もたたないうちに
次の社寺が現れます。









国道2号線に合流しますが、
300mほどでふたたび右側の
側道に入ります。













JR東加古川の駅前を通過。
















JR東加古川駅の前を通り、
そのまままっすぐ進むと、
加古川サティに突き当ります。

ここはそのまままっすぐ
通り抜けることができます。








サティの手前の小さな公園
には全高225cmの五輪塔。

この五輪塔は無銘のため、
詳しい造立年代はわからない
そうですが、室町初期のもの
ではないかとのこと。

公園では数人のご老人が
掃除をされていました。

お疲れさまです。



サティを抜けると
マンション群の前へ。

ここも通り抜けることは
できますが、私有地なので
どうするかはご自身の
判断でどうぞ。

迂回するなら右手に曲がった
ほうが近いでしょうか。






マンション群を抜けた
ところに五社宮野口神社。

神社の角には古い道標が
ありました。









時間は朝の7時前。
まだ日は昇っておらず、
影が長く伸びます。

もちろん実物はこんなに
足は長くありません。(笑










宝篋印塔。南北朝から
室町時代にかけてのもの。
県指定の文化財です。

伝承では和泉式部の墓と
伝えられているそうです。









県道18号を越え、別府川を
渡ります。

その後、また国道2号線と
合流しますが、200mほどで
また右側の側道へ。










しばらくすると右手には
胴切れの地蔵。

その昔、この地蔵を深く信仰
していた人がうっかり殿様の
前を横切ってしまい、
胴を二つに切られてしまった
そうな。ところが気が付くと
自分はなんともなく、
この地蔵の胴が真っ二つに。

深く信仰していたおかげで
身代わりになってくれた
のだとか。



加古川駅の前を通り、
商店街の中を進んでいきます。

ここまででスタートから
1時間半ぐらい。

加古川名物といえば
かつめし。

商店街にはかつめしの
モニュメントもありました。


県道18号を越え、しばらく
行くと加古川の手前で国道
2号線に合流。
2号線で川を渡ります。










加古川を渡り、2号線から
右手の側道へ。

平津の街に入って
右手には妙見宮。









県道43号を越え少し行くと
JR宝殿駅前。駅前には
「尉と姥」のモニュメントが。

昔、高砂神社の境内に一本の
根から雌雄の幹が左右に
分かれた相生の松が生え、
その根元から尉と姥が現れ、
「我々はイザナギ・イザナミの
2神。今よりこの木に神霊を
宿し、世に夫婦の道を示さん」
と告げたことから、尉と姥が
縁結びと夫婦和合の象徴に
なったそうな。



宝殿駅前を通り、1つ目の
踏切を渡って線路の北側へ。
渡ってすぐ左へ。

しばらくいくと左手に
生石神社の一の鳥居。
生石神社まではここから
直線距離で1km以上ある
ようです。




神爪の集落に入り少しいくと
やがて加古川バイパスの
高架が現れます。

高架をくぐりすぐ左。
曲がってすぐ法華山谷川を
渡ります。









法華山谷川を渡ると、
魚橋の集落へ。

集落の真ん中あたりには
作曲家・佐々木 英の碑。
「月の砂漠」を作曲された
方だそうです。








その後国道2号線を横断し、
阿弥陀の集落へ。

地蔵さんの上の縄が見える
でしょうか。この辺り、
どの家もこのような縄が
張り廻られていました。

この辺りのお祭りの時期
だったようですが、
祭と関係あるのでしょうか?







JR曽根駅の手前、県道の
高架下に道標が集められて
いました。
工事や造成の際、邪魔に
なったものを集めたのだと
思います。

なくすよりマシですが、
なんとか同じ場所で保存する
方法はなかったのでしょうか。





曽根駅の手前で北に行き、
国道2号線へ。

この交差点を左に曲がり、
すぐ右手の側道へ入ります。











しばらく行くと六騎塚。

延元元年(1336)児島高徳の
父範長主従六人の自害を
弔って建立されたそう。

九州から東上する足利尊氏
の大軍に敗れた備後守範長
のことで、太平記の十六巻
に出てくるそうです。




別府小学校をすぎ、しばらく
行くと弁慶地蔵。

泡子地蔵ともよばれ、天文
22年(1535)の銘文があり。

弁慶の母は福居村(別所)の
生まれだそうです。








やがて国号2号線にあたり
横断して国道の南側へ。

凄い送電線の数。









播但播磨道の高架をくぐり、
しばらく行くと
右手に大歳神社。

この大歳神社は一度参拝に
来たことがあります。

しかし、神社の前が
ごみ収集所、ってのも‥。






徳証寺の前にあった
手作りの道標。

こういう道標って、地元の
方々が山陽道を意識して
いるかどうかですね。

あるところにはかたまって
あるのですが、ないところ
には全くない。

行政の対応も同じですがね。




天川を渡り、国道312号線を
越え、さらにJR御着駅の
西側の踏切を渡って、
しばらくいくと一里塚跡。

御着の一里塚でしょうか。
○○一里塚、とか名前を
書くといいのに。







次の山脇の集落では民家の
前に道標が。

右 ヒメジ 左 神戸
と書かれていました。








その後、市川の手前で北に
進路をとり、国道2号線と
合流します。

市川に架かる市川橋を
渡っていきます。










市川を渡ってK'sデンキの
交差点を右折。右折して
すぐの左へ入る道へ。

少しいくと右手に地蔵院。
境内には室町時代のものと
推定される石棺仏がある
そうなのですが、門が開いて
おらす、中には入れません
でした。



市川を越えると姫路市の
中心部に近くなり、建物も
密集してきます。

看板にも姫路城の文字が。











JR播但線の京口駅前。

どうせ写真を撮るなら電車が
いたほうが好きなのですが、
運よく電車が止まっていて
くれました。

しばらく行くと城東小学校の
前に外京口門跡の案内板が。
姫路城の外濠にあった門。


ところどころの電柱には
町や通りの名前の由来が
書かれていました。

実際に住んでいても、
名前の由来は知らない人の
ほうが多いのでは。

いい試みだと思います。







国道372号線を越え、
姫路城の手前で南下し、
国道2号線を越えて
2つ目の筋を西へ。

少し行くと商店街が現れ
アーケードの中を抜けて
いきます。




姫路駅前の大通り。

西に向かって左が駅、
右が姫路城。

姫路城は平成の大改修中。
終わるのは2014年だそう
です。





ということで、商店街の中に
あった写真で我慢。(笑










商店街の中にこんなものが。

姫路城があるので観光地と
いえば観光地なのですが、
商店街の中は殆どが地元の
方々のハズ。

顔を入れてみるのは
ちょっと勇気がいりそうです。









前回の区間もそうですが、この区間も本当に社寺が多い。
昔から多くの人が住んでいた、ということでしょうね。
土山から姫路城の前までで約25kmを4時間45分。
これでこの日の予定のちょうど半分。まだまだ続きます。


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