西国街道をさらに西へ 向かいます。 前回終了地のJR土山駅を 朝の6時頃にスタート。 自宅から電車で来るとなると、 一番早くてこの時間。 |
しばらく歩いて行き、 JRの踏切を越えます。 貨物列車の通過待ちで 時間がかかりました。 |
五社大神社。 境内の入口が締まっており、 中には入れませんでした。 |
霊光山長松寺。 本当にこの辺りは社寺が 多くあります。 歩いていると 5分もたたないうちに 次の社寺が現れます。 |
国道2号線に合流しますが、 300mほどでふたたび右側の 側道に入ります。 |
JR東加古川の駅前を通過。 |
JR東加古川駅の前を通り、 そのまままっすぐ進むと、 加古川サティに突き当ります。 ここはそのまままっすぐ 通り抜けることができます。 |
サティの手前の小さな公園 には全高225cmの五輪塔。 この五輪塔は無銘のため、 詳しい造立年代はわからない そうですが、室町初期のもの ではないかとのこと。 公園では数人のご老人が 掃除をされていました。 お疲れさまです。 |
サティを抜けると マンション群の前へ。 ここも通り抜けることは できますが、私有地なので どうするかはご自身の 判断でどうぞ。 迂回するなら右手に曲がった ほうが近いでしょうか。 |
マンション群を抜けた ところに五社宮野口神社。 神社の角には古い道標が ありました。 |
時間は朝の7時前。 まだ日は昇っておらず、 影が長く伸びます。 もちろん実物はこんなに 足は長くありません。(笑 |
宝篋印塔。南北朝から 室町時代にかけてのもの。 県指定の文化財です。 伝承では和泉式部の墓と 伝えられているそうです。 |
県道18号を越え、別府川を 渡ります。 その後、また国道2号線と 合流しますが、200mほどで また右側の側道へ。 |
しばらくすると右手には 胴切れの地蔵。 その昔、この地蔵を深く信仰 していた人がうっかり殿様の 前を横切ってしまい、 胴を二つに切られてしまった そうな。ところが気が付くと 自分はなんともなく、 この地蔵の胴が真っ二つに。 深く信仰していたおかげで 身代わりになってくれた のだとか。 |
加古川駅の前を通り、 商店街の中を進んでいきます。 ここまででスタートから 1時間半ぐらい。 加古川名物といえば かつめし。 商店街にはかつめしの モニュメントもありました。 |
県道18号を越え、しばらく 行くと加古川の手前で国道 2号線に合流。 2号線で川を渡ります。 |
加古川を渡り、2号線から 右手の側道へ。 平津の街に入って 右手には妙見宮。 |
県道43号を越え少し行くと JR宝殿駅前。駅前には 「尉と姥」のモニュメントが。 昔、高砂神社の境内に一本の 根から雌雄の幹が左右に 分かれた相生の松が生え、 その根元から尉と姥が現れ、 「我々はイザナギ・イザナミの 2神。今よりこの木に神霊を 宿し、世に夫婦の道を示さん」 と告げたことから、尉と姥が 縁結びと夫婦和合の象徴に なったそうな。 |
宝殿駅前を通り、1つ目の 踏切を渡って線路の北側へ。 渡ってすぐ左へ。 しばらくいくと左手に 生石神社の一の鳥居。 生石神社まではここから 直線距離で1km以上ある ようです。 |
神爪の集落に入り少しいくと やがて加古川バイパスの 高架が現れます。 高架をくぐりすぐ左。 曲がってすぐ法華山谷川を 渡ります。 |
法華山谷川を渡ると、 魚橋の集落へ。 集落の真ん中あたりには 作曲家・佐々木 英の碑。 「月の砂漠」を作曲された 方だそうです。 |
その後国道2号線を横断し、 阿弥陀の集落へ。 地蔵さんの上の縄が見える でしょうか。この辺り、 どの家もこのような縄が 張り廻られていました。 この辺りのお祭りの時期 だったようですが、 祭と関係あるのでしょうか? |
JR曽根駅の手前、県道の 高架下に道標が集められて いました。 工事や造成の際、邪魔に なったものを集めたのだと 思います。 なくすよりマシですが、 なんとか同じ場所で保存する 方法はなかったのでしょうか。 |
曽根駅の手前で北に行き、 国道2号線へ。 この交差点を左に曲がり、 すぐ右手の側道へ入ります。 |
しばらく行くと六騎塚。 延元元年(1336)児島高徳の 父範長主従六人の自害を 弔って建立されたそう。 九州から東上する足利尊氏 の大軍に敗れた備後守範長 のことで、太平記の十六巻 に出てくるそうです。 |
別府小学校をすぎ、しばらく 行くと弁慶地蔵。 泡子地蔵ともよばれ、天文 22年(1535)の銘文があり。 弁慶の母は福居村(別所)の 生まれだそうです。 |
やがて国号2号線にあたり 横断して国道の南側へ。 凄い送電線の数。 |
播但播磨道の高架をくぐり、 しばらく行くと 右手に大歳神社。 この大歳神社は一度参拝に 来たことがあります。 しかし、神社の前が ごみ収集所、ってのも‥。 |
徳証寺の前にあった 手作りの道標。 こういう道標って、地元の 方々が山陽道を意識して いるかどうかですね。 あるところにはかたまって あるのですが、ないところ には全くない。 行政の対応も同じですがね。 |
天川を渡り、国道312号線を 越え、さらにJR御着駅の 西側の踏切を渡って、 しばらくいくと一里塚跡。 御着の一里塚でしょうか。 ○○一里塚、とか名前を 書くといいのに。 |
次の山脇の集落では民家の 前に道標が。 右 ヒメジ 左 神戸 と書かれていました。 |
その後、市川の手前で北に 進路をとり、国道2号線と 合流します。 市川に架かる市川橋を 渡っていきます。 |
市川を渡ってK'sデンキの 交差点を右折。右折して すぐの左へ入る道へ。 少しいくと右手に地蔵院。 境内には室町時代のものと 推定される石棺仏がある そうなのですが、門が開いて おらす、中には入れません でした。 |
市川を越えると姫路市の 中心部に近くなり、建物も 密集してきます。 看板にも姫路城の文字が。 |
JR播但線の京口駅前。 どうせ写真を撮るなら電車が いたほうが好きなのですが、 運よく電車が止まっていて くれました。 しばらく行くと城東小学校の 前に外京口門跡の案内板が。 姫路城の外濠にあった門。 |
ところどころの電柱には 町や通りの名前の由来が 書かれていました。 実際に住んでいても、 名前の由来は知らない人の ほうが多いのでは。 いい試みだと思います。 |
国道372号線を越え、 姫路城の手前で南下し、 国道2号線を越えて 2つ目の筋を西へ。 少し行くと商店街が現れ アーケードの中を抜けて いきます。 |
姫路駅前の大通り。 西に向かって左が駅、 右が姫路城。 姫路城は平成の大改修中。 終わるのは2014年だそう です。 |
ということで、商店街の中に あった写真で我慢。(笑 |
商店街の中にこんなものが。 姫路城があるので観光地と いえば観光地なのですが、 商店街の中は殆どが地元の 方々のハズ。 顔を入れてみるのは ちょっと勇気がいりそうです。 |