墓石に囲まれるようにあった 西有年宝篋印塔。 鎌倉末期か南北朝初期のもの だとか。案内板がなければ、 墓と間違えそうです。 |
すぐ先、左手には一里塚跡。 |
立場跡。 宿場間の休憩所の跡だそう。 この先有年峠が待ち構えます。 さあ、道はどんな具合かな‥ |
この日は獣除けの柵が 開いていました。 ちゃんと「開けたら閉めろ」と 書いてあるのに‥ |
坂折池。 ちょっとこの時期は水量が 少ないですね。 |
坂折池の畔には こんな案内板が。 平成22年10月とあり ましたので、つい最近 建てられたもののようです。 |
道はすぐ地道になります。 右側にはヤブツバキが 等間隔に植えられていました。 近くの有年小学校の生徒が 植えてくれたようです。 こちらも2010年10月の文字が ありました。 どうも昨年の秋に一気に 整備されたようです。 |
入山者へハンターに誤射 されないための注意喚起。 蛍光色を着ろ、とか、 二人以上で行動し大声で しゃべりながら歩け、とか。 白っぽい服装は鹿と間違え られる可能性があるので、 ダメだそうです。 一人だったので、ラジオを 鳴らしながら歩くことに。 |
こちらはハンター向けの 注意喚起。 私もここでピンクのウィンド ブレーカーを取り出し着用。 なんせ、以前銃口を向けられた ことがありましたので、 念のため。 |
こんな雰囲気のいい道を 歩いていきます。 どこかで銃声がしないか、 犬が吠えていないか、 耳をすませながら‥ |
そのうち、道は荒れてきて どちらに進むのかわからなく なる程のハズなのですが、 なんの問題もなく道は 続いていきます。 |
この日は水は流れていません でしたが、ちゃんと丸太で 橋も作ってあります。 |
切り株を見てみると、やはり最近切ったもののようです。 以前歩いた熊野や伊勢と比べると、山陽道を歩かれている方はどうしても少なく思えます。 そのため、最近の情報がなかなか得られませんでした。 この有年峠はとにかく荒れていて、途中で諦めて引き返した方、全然違うところへ出てしまった方など、 普通に歩かれたという情報は見つかりませんでした。 なので、かなり気合を入れて来てみたのですが、よかったというか、拍子抜けというか、 道がキッチリ整備されており、なにも問題ありませんでした。 |
この先がどうも峠のようです。 峠にはなにもありません でしたが、そのうち案内板の ようなものが整備されるかも しれません。 |
峠の先、下りの道も迷う ようなことはありません。 |
最後も獣除けの柵が。 これは針金でガッチリ くくってあります。 これがなかなか固く締められ、 しかも何カ所もくくって ありました。 一つずつはずし、通ってから また全部締めていきます。 最初の獣除けのフェンスから、 こちらのフェンスまで ちょうど30分でした。 |
なんの問題もなく、有年峠を 越えることができました。 整備していただいた方に 感謝ですね。 |
その後、国道2号線を横断し、 1つ目のこの角を左折します。 |
梨原宿の遺跡。 当時ここは「宿」だった ようですが、今はなにも 残っていませんでした。 |
道なりに歩いていくと、 右手には船坂神社。 |
一旦国道2号線に合流します が、すぐ先の右側にある 踏切を渡ります。 |
引っかかりました。 しかも貨物列車‥ |
踏切を越えてすぐ、 この二股は左側へ。 |
船坂峠を目指し、登り坂を 歩いていきます。 この道は車は通行禁止の ようなので、安心して 歩けます。 |
峠には「縣界 東宮殿下 行啓記念 岡山縣」と 書かれた石柱が。 ここが兵庫と岡山の 県境ですね。 |
あとはは下っていくのみです。 |
2号線と合流。 ちょうど国道のトンネルを 抜けたあたり。 |
しばらく国道を歩いて いきます。 5〜6分歩いて‥ |
ここのところから 右手の道に入ります。 |
すぐ踏切を渡ります。 踏切の右手には今越えてきた 船坂峠を抜けるトンネルが。 |
踏切にこんな看板が。 かまぼこ型踏切だそうで 真ん中が膨らんでいる為、 絵のようにトレーラーだと 腹が閊えてしまう可能性が あるようです。 しかし、どうみてもかまぼこ の形には見えません。 逆に真ん中がへこんでいる ように見えるのですが‥ |
道沿いにあるいていくと、 石垣の上に三石一里塚跡の 案内板。 あれっ? あれっと思った理由は後程。 |
「深谷瀧道」と書かれた道標。 どこに通じる道ですかね? |
左手に小川を眺めながら 歩いていきます。 |
三石駅前に到着。 ここにも三石の一里塚跡の 碑があります。 ここから先は以前に歩いて いるので、ここにも一里塚 跡の碑があるのは知って いました。 なので、先程の一里塚跡で あれっ?と思ったんですよ。 どっちが正しいんだ? |
JR三石駅に到着。 |
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