相生から三石の区間にある 有年峠の道は荒れ放題だわ、 マムシはうじゃうじゃだわ、 ということで後回しに していました。 相生〜有年駅は秋に歩いた のですが、その先は植物が 枯れ、動物は冬眠する時期 まで伸ばすことに。 ようやく冬になり歩くことが できましたので、繋ぐ形に なっています。 |
右 さいこくみち 左 あ加本城下みち と書かれた道標。 「あ加本」は赤穂のこと でしょうね。 |
足元にはペーロン祭の タイルが埋め込まれてました。 ペーロンは長崎も有名ですが 確か相生のチームはアジア 大会にも出られてましたね。 |
山陽本線、新幹線のガードを くぐり、国道2号線に合流。 この先の菅原台交差点で 国道を渡り側道へ入ります。 |
5分程で再び2号線に合流。 ダラダラとした長い登り坂。 歩道は立派だし、トラックや 車もガンガン走ってますが、 こんな所を歩いているのは 私だけ。(笑 |
山陽道のガードをくぐり、 竜泉の交差点の先で 右斜めの側道に入ります。 |
側道に入り、少し国道沿いに 歩きますが、ここの地点で 右側の道に入っていきます。 |
すぐ、右手には金毘羅神社。 |
その後、鶴亀の集落を抜け、 また2号線に合流します。 合流後、この歩道橋の ところで左斜めの側道へ。 側道に入ってすぐ二股が ありますが、そこは右側へ。 |
側道に入り、 左手には円立寺。 |
またまた2号線に合流し、 向こう側に見える側道へ。 |
しばらく行くと右手に 天満神社の参道。 ここの神社は一度訪れた ことがあります。 天満神社のすぐ先の二股は 左側へ。 |
若狭野地区の史跡案内図。 この辺りには多くの神社や お寺があるそうです。 それだけ古い街ということ なんでしょうね。 |
若狭野小学校を過ぎ、 しばらく行くとまた2号線。 ここからはもう1回側道へ 出入りしますが、 基本2号線を歩きます。 しばらくは路肩も広かった のですが‥ |
そのうち、路肩も狭くなって きました。 歩いている横をガンガン大型 トラックが通ります。 大型トラックが横を通るたび、 体が風圧で揺れます。 かなり危ない。 まあ、こんなところを歩く 人は滅多にいないので しょうね。 |
山陽本線を越えるのには 旧道が残っておらず、 この2号線を歩くしか ありません。 トラックのドライバーさんが 歩いている私を見つけては ギョッとした顔をして いきます。 |
山陽本線を越えていきます。 線路の手前になんとなく 旧道っぽく見える道が あるような気もしますが、 線路で分断されているので 通ることはできそうに ありません。 |
赤穂市に入りました。 道路標識にも岡山の文字が。 |
線路を越えても路肩はご覧の 通り、メチャメチャ狭い。 ここの地点で右に下る道が ありましたので、そちらへ。 |
これで身の危険を感じずに 歩くことができそうです。 |
畑の集落に入りました。 道が1つ違えば静かな ものです。 |
赤穂市内を走る循環バス。 「ゆらのすけ号」だそうです。 由来は仮名手本忠臣蔵の 「大星由良之助」の名称と、 ゆっくりとバスに揺られて いるイメージとを掛け合わ せており、忠臣蔵のまちに ふさわしく、ほのぼのと した感じを与える愛称。 だそうです。 住民の方々の貴重な足 だと思うのですが、 運営は難しいんでしょうね。 |
畑の集落を抜けると、 また2号線に合流。 ここの交差点で国道を反対 側に渡り、左斜めの側道へ。 |
有年の街に入り、 ここでいったん終了。 |
JR有年駅。 冬の時期にまたここに 戻ってくることになります。 |
有年駅で新快速の新型車両 が試運転をしていました。 撮り鉄の方もいました。 今はこの車両も普通に 走っていますね。 |
有年村の道路元標。 以前ここまで歩いたのは 10月下旬。この先を歩いた のが2月下旬でしたので、 約4か月ぶり。 |
有年の街をぬけ、この先の 歩道橋のところで国道に 合流します。 |
しばらくは国道を歩きます。 広い歩道がありますので、 安心して歩くことができます。 |
しばらくいくと、左手に 池魚塚と地蔵がありました。 用水路のようなものを 挟んだ向こう側にあり、 近づいていないので、 池魚塚の由来は よくわかりません。 |
千種川を渡ります。 ここの手前で同じ方向へ 歩かれている方が4人。 親子連れのようです。 お姿も地元の方ではなさそう でしたし、正直、こんな所を 歩くのは、同じ目的だろうな と思ってました。 お声掛けしようかな?とも 思ったのですが、コンビニに 寄られたので抜かす形に。 |
千種川を越えるてすぐ、 左側に曲がり、道なりに 歩いていきます。 |
やがて右手に有年宿番所跡。 この先T字路に突き当たる ので、そこを右折。 |
この東有年の交差点で 国道を横断していきます。 |
国道を横断してすぐの ところの角には八幡神社。 この鳥居は1744年建立 だそうです。 |
有年家の長屋門。 長屋門とは、屋敷の入口に 設けられる建物が付属する 門のことだそう。 この辺りの地名である有年は 「うね」と読みますが、 有年家は「ありとし」と 読みます。 どっちからどうかわった のでしょうね。 |
その先、左手には石碑群が ありました。 石碑の背後は田んぼですが、 稲が実ったときなどは 見事でしょうね。 |
有年小学校のところの 二股は左側へ。 |
その後道なりに歩いていくと、 県道にぶつかります。 この先に見える中野橋で 川を渡り、西中野の集落へ 入っていきます。 |
営業が金・土・日の3日で、 しかも時間が11〜2時と いう難攻不落な蕎麦屋さん。 ただ、ここを通ったときは、 営業時間内だったのですが‥ |
西有年・宮東遺跡と 書かれた標柱。 平安時代末から鎌倉時代頃の 掘立柱建物跡がここで多く 見つかったそうです。 |
さらに行くと、 右手に大避神社。 |
またまた国道と合流。 ここも横断し、左斜めの 側道に入ります。 |
しばらく行くと、金網に 囲まれるようにして 西有年向山の五輪塔が ありました。 |
長閑な側道を 歩いていきます。 |
やがて、墓地に当たります。 ここを左折。 |