西国街道(旧山陽道) その7
相生〜三石(前編)






相生から三石の区間にある
有年峠の道は荒れ放題だわ、
マムシはうじゃうじゃだわ、
ということで後回しに
していました。

相生〜有年駅は秋に歩いた
のですが、その先は植物が
枯れ、動物は冬眠する時期
まで伸ばすことに。
ようやく冬になり歩くことが
できましたので、繋ぐ形に
なっています。



右 さいこくみち
左 あ加本城下みち
と書かれた道標。

「あ加本」は赤穂のこと
でしょうね。









足元にはペーロン祭の
タイルが埋め込まれてました。

ペーロンは長崎も有名ですが
確か相生のチームはアジア
大会にも出られてましたね。









山陽本線、新幹線のガードを
くぐり、国道2号線に合流。

この先の菅原台交差点で
国道を渡り側道へ入ります。










5分程で再び2号線に合流。
ダラダラとした長い登り坂。

歩道は立派だし、トラックや
車もガンガン走ってますが、
こんな所を歩いているのは
私だけ。(笑








山陽道のガードをくぐり、
竜泉の交差点の先で
右斜めの側道に入ります。












側道に入り、少し国道沿いに
歩きますが、ここの地点で
右側の道に入っていきます。











すぐ、右手には金毘羅神社。














その後、鶴亀の集落を抜け、
また2号線に合流します。

合流後、この歩道橋の
ところで左斜めの側道へ。

側道に入ってすぐ二股が
ありますが、そこは右側へ。




側道に入り、
左手には円立寺。










またまた2号線に合流し、
向こう側に見える側道へ。












しばらく行くと右手に
天満神社の参道。
ここの神社は一度訪れた
ことがあります。

天満神社のすぐ先の二股は
左側へ。







若狭野地区の史跡案内図。

この辺りには多くの神社や
お寺があるそうです。

それだけ古い街ということ
なんでしょうね。










若狭野小学校を過ぎ、
しばらく行くとまた2号線。

ここからはもう1回側道へ
出入りしますが、
基本2号線を歩きます。

しばらくは路肩も広かった
のですが‥








そのうち、路肩も狭くなって
きました。

歩いている横をガンガン大型
トラックが通ります。
大型トラックが横を通るたび、
体が風圧で揺れます。
かなり危ない。
まあ、こんなところを歩く
人は滅多にいないので
しょうね。




山陽本線を越えるのには
旧道が残っておらず、
この2号線を歩くしか
ありません。

トラックのドライバーさんが
歩いている私を見つけては
ギョッとした顔をして
いきます。






山陽本線を越えていきます。
線路の手前になんとなく
旧道っぽく見える道が
あるような気もしますが、
線路で分断されているので
通ることはできそうに
ありません。







赤穂市に入りました。

道路標識にも岡山の文字が。













線路を越えても路肩はご覧の
通り、メチャメチャ狭い。

ここの地点で右に下る道が
ありましたので、そちらへ。











これで身の危険を感じずに
歩くことができそうです。














畑の集落に入りました。

道が1つ違えば静かな
ものです。











赤穂市内を走る循環バス。
「ゆらのすけ号」だそうです。

由来は仮名手本忠臣蔵の
「大星由良之助」の名称と、
ゆっくりとバスに揺られて
いるイメージとを掛け合わ
せており、忠臣蔵のまちに
ふさわしく、ほのぼのと
した感じを与える愛称。

だそうです。
住民の方々の貴重な足
だと思うのですが、
運営は難しいんでしょうね。


畑の集落を抜けると、
また2号線に合流。

ここの交差点で国道を反対
側に渡り、左斜めの側道へ。









有年の街に入り、
ここでいったん終了。














JR有年駅。

冬の時期にまたここに
戻ってくることになります。












有年駅で新快速の新型車両
が試運転をしていました。

撮り鉄の方もいました。

今はこの車両も普通に
走っていますね。









有年村の道路元標。

以前ここまで歩いたのは
10月下旬。この先を歩いた
のが2月下旬でしたので、
約4か月ぶり。










有年の街をぬけ、この先の
歩道橋のところで国道に
合流します。













しばらくは国道を歩きます。

広い歩道がありますので、
安心して歩くことができます。












しばらくいくと、左手に
池魚塚と地蔵がありました。

用水路のようなものを
挟んだ向こう側にあり、
近づいていないので、
池魚塚の由来は
よくわかりません。





千種川を渡ります。

ここの手前で同じ方向へ
歩かれている方が4人。
親子連れのようです。
お姿も地元の方ではなさそう
でしたし、正直、こんな所を
歩くのは、同じ目的だろうな
と思ってました。

お声掛けしようかな?とも
思ったのですが、コンビニに
寄られたので抜かす形に。

千種川を越えるてすぐ、
左側に曲がり、道なりに
歩いていきます。












やがて右手に有年宿番所跡。
この先T字路に突き当たる
ので、そこを右折。











この東有年の交差点で
国道を横断していきます。















国道を横断してすぐの
ところの角には八幡神社。

この鳥居は1744年建立
だそうです。







有年家の長屋門。
長屋門とは、屋敷の入口に
設けられる建物が付属する
門のことだそう。

この辺りの地名である有年は
「うね」と読みますが、
有年家は「ありとし」と
読みます。
どっちからどうかわった
のでしょうね。




その先、左手には石碑群が
ありました。

石碑の背後は田んぼですが、
稲が実ったときなどは
見事でしょうね。








有年小学校のところの
二股は左側へ。













その後道なりに歩いていくと、
県道にぶつかります。

この先に見える中野橋で
川を渡り、西中野の集落へ
入っていきます。









営業が金・土・日の3日で、
しかも時間が11〜2時と
いう難攻不落な蕎麦屋さん。

ただ、ここを通ったときは、
営業時間内だったのですが‥









西有年・宮東遺跡と
書かれた標柱。

平安時代末から鎌倉時代頃の
掘立柱建物跡がここで多く
見つかったそうです。








さらに行くと、
右手に大避神社。















またまた国道と合流。

ここも横断し、左斜めの
側道に入ります。










しばらく行くと、金網に
囲まれるようにして
西有年向山の五輪塔が
ありました。










長閑な側道を
歩いていきます。













やがて、墓地に当たります。
ここを左折。

















有年峠を冬場に回したので、この区間は2回に分けて歩くことになりました。
しかし、若狭野地区の先、畑の集落に入るまでの国道2号線は本当に危ない。
暗くなってからは歩かないほうがいいと思います。あと雨など天気の悪い日も。
ドライバーから見づらい時は避けた方がいいでしょうね。


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