伊勢本街道 その1
玉造〜南生駒





2009年11月8日、伊勢まで徒歩での旅のスタートです。
予定では近鉄の南生駒駅までの20km弱。距離的にはそんなでもないですが、
途中にはかなりキツそうな山道もあり、
不安ながらも朝の7時40分頃にJR玉造駅をスタートです。

しばらくは大阪の街中を歩いていきます。


歩き始めた当初は、こんな風にHPにまとめるなんて思ってもいませんでしたので、
写真もあまり撮っていませんでした。進むにつれ増えていきますので、ご容赦のほど。




暗越奈良街道の道標。
「くらがりごえ」と読みます。
途中いくつもありました。

案内板によると暗越奈良
街道のもともとの起点は
大阪の高麗橋。
これが江戸時代に玉造へ。

奈良への最短コース
だったそうです。


コンビニの壁にあった案内板。
文章は堺屋太一さんのもの。
多くの人たちがここを通って
奈良に入ったそうです。
鑑真和上、豊臣秀長、
松尾芭蕉‥

1700年頃、伊勢参りが
爆発的に流行したころには、
なんと1日七万人がこの道を
通ったそうな。

す、凄い‥

個人的には先ほどの道標の
字体よりもこっちの方が
好きです。


この道標は文化三年(1806年)に建てられたもの。

当初は20mほど離れたところにあったそうですが、
道路拡張に伴い移設されたそうです。

その際、向きを変えて建ててしまったため、
行先の表示も正しいものではないそうな。

なんとかならんかったんですかねえ。

この辺りでスタートしてから30分ほど。


東大阪に入り御厨付近。

この付近の植田家には
大名の休憩所であることを
示す「片桐石見守」、
「松平甲斐守」の門礼が
残されているそうです。




東大阪の花園付近。
花園はラグビーのメッカ。

マンホールもラグビー仕様。





この看板辺りで
スタートから1時間10分ほど。


松原宿付近。
暗越奈良街道で唯一の
公式の宿場で、1655年頃
に設けられたそうです。

当時は16軒の旅籠があり、
かなり賑わっていたそうな。


水走に入ると、目の前には
これから越えなければ
生駒の山々が見えてきます。

無事に越えられるかな‥



しばらく街中を通って
歩き、近鉄のガードを
くぐると、いよいよ登り坂。
ここから暗峠を越えるまで、
延々と登り坂が続きます。

上り坂でなく、登り坂が
この道には絶対似合います。

このきつい坂、狭い幅員でも
実は国道。308号線です。

ナビなんかでこの道を
指定された日にゃ、
泣きそうになりそう。


松尾芭蕉の句碑。
菊の香に
くらがり登る
節句かな

全国を旅された芭蕉ですが、
この暗峠越えが最後の
旅だったそうです。

暗峠の標高は455m。
この街道は 大坂と奈良を
最短で結ぶルートでしたが、
「最短」にするから
こんなにキツい坂に
なったような気が。


峠の頂上に近づくと、
ようやく急な坂から
解放され、こんな
のどかな風景に。




暗峠に到着。
石畳がいい感じですね。

暗峠は日本の道百選にも
選ばれているそうです。

スタートから3時間40分で
到着しました。



暗峠で大阪府から
奈良県に入ります。

しかし、幅員1.3mの
国道って‥



暗峠を超えると生駒まで
どんどん下っていきます。

下り始めてすぐに生駒の
街が見えてきました。




下り道の途中にあった石標。

このころになると、かなり
疲れていて、写真も殆ど
撮っていません。

ゴールとその先に待つ
ビールを目指して歩き
続けたのみ。この辺りの
記憶はあまりありません。

なんとか目的地の
南生駒駅に到着。

20km弱を4時間40分ほど。

所要時間が早いのか
遅いのかわかりませんが、
最初にしてはこんなもの
でしょうか。




南生駒の駅前には食事をする場所があまりなかったので、
生駒駅まで出てから食事とビールにありつきました。いや、ビールが美味しかった。(笑
初めての長距離歩行にしては、思ったより歩けたような気がしました。


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