「旧山陽道 これより田万里 往還」の標柱。 町おこしの一環でしょうか。 この先しばらく、いろんな 所で標柱や案内板を みかけました。 |
日があたらないとかなり 寒いですが、田万里川沿いを どんどん歩いていきます。 のんびりとした旧道で、 ほとんど人と出会うことは ありませんでした。 |
しばらくいくと、左手に 末徳師古城跡の標柱が。 ただ、小さく括弧書きで 「山頂」とあったので、 行くのはやめました。(笑 |
往還の名水 茗荷の清水 と書いてありました。 あまり名水には 見えませんが‥ |
田万里の集落へ入りました。 この家には「明治時代最初の 郵便取扱所 後の郵便局跡」 との案内が。 「旧山陽道田万里市 旅籠跡 (宿屋)」と書かれた家も ありました。 |
猪の捕獲用ワナ。 仕掛けは単純なもの。 結構そこいらで見かけました。 よく出るんですかね? |
横穴のお地蔵さん。 おっしゃるとおりで。ハイ。 |
日が当たらない道路は まだ雪が解けずに残っており ご覧の通り真っ白です。 |
ここで一旦国道2号線に 合流しますが、すぐまた 左の側道へ。 ここまででスタートから 3時間半弱。 また、道が田万里川沿いに なってからは50分ほど。 |
また田万里川沿いに歩いて いきます。 国道から分かれてすぐ、 左手に重井工業さんがあり、 そこの前に自販機があります。 この先、西条の街までは 自販機もなにもありません ので、水分補給が必要な方は ここで買われておくのを お奨めします。 |
しばらく歩くと左手には 石立神社。 |
石立神社を過ぎ、しばらく 行くと右手、沼田川の向こう にご覧のような棚田が 見えます。 この棚田が風呂ヶ迫の 縄文遺跡だそうです。 |
さらに行くと左手に 「旧山陽道 茗荷清水跡」 の碑。 先程のは茗荷の清水。 こちらは茗荷清水。 よく違いがわかりませんが、 まあいいか。(笑 |
この先、舗装された道を あるここともできるのですが、 本来の旧道はここを上って 行きます。 |
また道なき道が登場。 といってもホンの数十mほど。 |
かなり急な坂(というより 単なる斜面)を登ると 国道2号線の東行の バイパスに出ます。 横断歩道はありませんが 強行突破します。 |
また道なき斜面を登ります。 |
今度は西行の一方通行。 ここもそのまま横断し、 正面に見える舗装道へ。 |
バイパス2本を無理矢理と いう感じで越え、舗装された 道を歩きます。 左手に大明神社を見ながら 進むとご覧の二股に出ます。 二股の左側は大多池。 この二股は左側へ。 |
もう一度二股が出てきます が、これも左側へ。 |
しばらくは舗装された道が 続きます。 だいぶ古道っぽい雰囲気に なってきました。 |
「西国街道(旧山陽道) 田万里へ←→西条へ」と 書かれた案内板。 この先、ところどころに ありました。東広島郷土史 研究会の方々が設置された ものですが、迷いやすい 場所なので本当に有難い。 |
東広島・呉自動車道の手前、 左側の窪地の下に 日向一里塚跡の碑。 かなり道からは低い位置に あるので、見つけにくい かもしれません。 |
東広島・呉自動車道を ガードでくぐります。 |
ガードをくぐりすぐ左手の 高台にはご覧のような 復元された一里塚跡が。 ちゃんと対になっており、 当時の様子がうかがえます。 |
その復元された一里塚の 反対側、歩いてきた右手には ご覧のような細い舗装された 道があります。 ここがこの日一番の難所の 松子山峠の入り口です。 |
舗装された細い道も、ホンの 数十mほどで地道になります。 |
まだ道がわからない、という
ほどではありませんが、 倒木が多く、乗り越えたり くぐったりが結構忙しい。 |
嫌がらせの様にある倒木。 とはいえ、進まないわけには いきません。 |
この辺りから道がかなり わかりにくくなります。 途中、いくつか先ほどの 東広島郷土史研究会の方々が 設置してくれた案内板が あります。本当に心強い。 これがなければかなり あっているかどうか不安に なったと思います。 |
ここはトゲがある木がかなり 多かったです。草木をかき 分けながら歩く所も多いので、 夏場でも肌の露出する半袖や 半ズボンはやめた方がいいと 思います。 この日は上下ともウインド ブレーカータイプの表面が ツルっとした素材だったので、 あまり引っかかることもなく、 助かりました。 あと手袋もしておいたほうが いいかもしれません。 |
もうひとつ、地面がかなり ぬかるんでいます。 小さな川の様になっている 所もありました。 この日は気温が低かった為、 凍ってしまいおり、逆に 助かりました。 普段であれば、足元の防水 対策が必要でしょうね。 |
歩いていくと左手に池が見え、 目の前にコンクリートの壁が 見えてきます。 壁の高さは1mちょっとぐらい。 写真の真ん中下に見える倒木 のようなものもコンクリート。 ここは躊躇することなく、 正面の壁を無理矢理登って まっすぐ進みます。 よじ登ったところに東広島 郷土史研究会の案内板があり よじ登る手前からも確認 できます。 |
先程のコンクリート壁の 左側には池があります。 池は凍ってました。 |
コンクリート壁を越えた後は もうはっきり道はわかり、 迷うことはありません。 |
コンクリート壁の左にあった 池の先、もうひとつ左手に 池があり、それを過ぎると 松子山峠の石碑。 ここも峠というほどの 高低差はありませんでした。 |
峠の石標から先、 あとは道なりに緩やかな 下りを進んでいきます。 |
一般道が見えてきました。 無事松子山峠越えが終了。 かなり覚悟して臨んだ のですが、冬場で草木が 少なかったためか、 特に迷うことなく 歩くことができました。 熊野古道の王子谷越えの ほうが勾配もきつかったし、 苦しかったでしょうか。 |
一般道を歩きます。 この辺りから雪がチラチラ 舞ってきました。 |
一般道に入り、15分ほどで 右手に浄水場。 雪も本降りに近くなって きてしまいました。 |